学会とW杯


 みなさんこんにちは。慌ただしかった1月もあっという間に過ぎてしまいました。今回はメキシコでの国際学会とその後のSLCでの日々をお話ししましょう。
 1月14日(日)から19日(金)までは、メキシコシティからバスで2時間ほどのところにある、クエルナバカという避暑地にあるホテルで僕らの分野の国際学会( BLAST meeting)がありました。ホテルの名前をカミノリアル・墨屋ホテルといい、メキシコの真ん中にありながら日本の雰囲気を漂わせるたたずまいです。ここに2年に1度、細菌の運動、信号伝達に関する研究を行っている全世界の研究者が集まって、泊まり込みでdiscussionを行うのです。このmeetingの良いところは、大学院生やポスドクが数多く参加することです。私自身、まだ日本にいた2年前に幸いにも参加する機会があり、素晴らしい雰囲気を味わうことが出来ました。前回と今回で違うところは、アメリカから参加したので時差ボケに悩まされなかったこと、口頭発表でなかったので随分リラックスしていたこと、前回に比べれば英語で話すことに対する恐怖感が無くなったことでしょうか。初日14日は夜のパーティだけで、実際の会議は翌日15日からでした。朝9時から12時まで口頭発表、午後4時から6時までがポスター発表、7時半から9時半までが口頭発表、というスケジュールで、比較的ゆったりとした中で行われました。私は今回ポスター発表で、年末・年明けに必死でデータを集めて、久しぶりに徹夜をしてようやく完成させて発表に臨みました。苦労した仕事でしたが、何とか形になり、ポスターを見に来てくれた方々にはおおむね好意的なコメントをいただくことが出来ました。自分としては、かなりネガティブなレスポンスを予想していたので、ちょっとびっくりしました。そう、自分でもびっくりしたのは、やはり1年9ヶ月もこちらにいると、曲がりなりにも英語できちんと発表できるようになっていたことです。今回はまったく原稿を準備していなかったのですが、来た方の要望に応じて話を始めたり、discussionをしたり、逆に質問をしたり、とても楽しかったです。口頭発表の方も、前回は正直言って半分も理解できなかったのですが、今回は結構理解することが出来ました(思い切って質問にもトライしてみました)。

 さて、今回は中日の水曜日に、Taxcoという街へのツアーがありました。この街は中世に作られた銀山を中心にした町で、狭い路地を挟んでたくさんのこじんまりした家が並び、たくさんの銀製品が売られていました。街の真ん中に教会があって、それはそれは美しく厳かなたたずまいでした。私たちはこの街で3時間ほどの自由時間をいただき、ショッピングを楽しみました。帰る間際に、その日は何かの記念日だったらしくパレードが始まって、とてもにぎやかでした。そのパレードの車に乗っている女性2人と写真を撮らせていただくことができました。

 そんな感じで学問を楽しみ、旅を楽しみ、夜にはお酒を楽しみ、非常に楽しかった1週間でした。
そして金曜日の夜中にSLCに戻ってきました。そしてメールを開いてみると嬉しい知らせが。そう、金曜にはSLCの隣町Park Cityにあるジャンプ台で行われたW杯Ski Jumpで、久しぶりに日本チームが優勝したという、日本人の皆さんからのメールが届いていたのです。翌日の土曜日に、個人戦を見に行くことにしていたので、否が応でも心は盛り上がります。そして、翌朝、カイロとホットチョコレートを魔法瓶に準備して、朝9時にジャンプ台へ。この日はオリンピックの前哨戦ということで、多くのボランティアの方々が来ていて、駐車場で交通整理をしたり、ジャンプ台へのスロープで道案内をしてくれました。とても寒いのに、本当に頭が下がりました。さて、ちょうど9時に会場に到着すると、トライアルがもう始まっていました。この時は風が悪かったのか、ラージヒルなのにどの選手も80メートルくらいで着地していて「あれれ」と言う感じでした。DJの人が一生懸命いろいろ解説をしてくれて、盛り上げていました。アメリカ人はジャンプの試合をおそらく生で見たことがないので、どう盛り上げていいのか分からないようでしたが、観客の中にはポーランドからの大応援団がいて、現在ランキングトップのマリシュ選手の時になると、国旗を振って大声援を送っていました。日本からは、渡瀬、仲村、岡部、宮平、吉岡、原田、船木、葛西の8選手が出場していました。その中でも原田選手はやはりアメリカ向きというか、テレビカメラや観客にしっかりサービスしていました! さて、本戦が10時から開始となりましたが、半分ほど終わったところで、135メートル近いジャンプが連発したので、ジュリー会議が行われて、ゲートを下げスピードを下げることになり、全選手やり直すことになりました。かわいそうなのは、134メートルのジャンプ台記録を作ったオーストリアの選手でした・・・ このやり直しで救われたのは、船木選手、吉岡選手でしょう。船木選手は125メートルのK点越えジャンプをしていたにもかかわらず、転倒して随分損していましたから。11時半頃からやり直しの1本目が始まりました。日本選手は前日の好調さを持続できなかったようで、吉岡選手の3位が最高で、他の選手はK点あたりで終わっていました。その中で圧倒的な力を見せつけたのが、ランキング1位のアダム・マリシュ選手(ポーランド)。伝統のジャンプ週間を葛西選手と争い勝ち取って、現在絶好調です。この選手、実は長野オリンピックの1年前のプレ五輪大会(97年白馬)でも勝っていて、前哨戦には強いんですよね。2回目も、吉岡選手がきれいなジャンプで2本まとめて表彰台を決めた後、一人だけ別世界を飛んでいるようなジャンプで130メートルを越えてきて、圧勝でした。周りの観客もため息をもらすだけでした・・・
さて、我々日本人の応援団も探してみると結構いました。Uに来られているお医者さんとそのご家族の方々が結構来られていたようです。日の丸の旗を掲げている方も居ました。私の知り合いはスキーウエアにサインしてもらっていたようです(いいなぁ)。私はせいぜい遠くから写真を撮るくらいでした。以下の写真は、表彰式の船木選手と、自己最高の3位に輝き、表彰されているところの吉岡選手です。優勝できなかったのは残念ですが、エキサイティングな試合を見ることが出来て、とても楽しかったです。

というわけで、学会の後もいろいろ楽しむことが出来、これからはますます仕事を頑張ろうという気持ちで一杯の筆者でした。それではまた次回。

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