2年経って


 みなさんこんにちは。すっかり春ですね。日本は花見の季節ではないでしょうか? こちらSLCも随分暖かくなってきました。スキーが出来るのももう後少しです。
さて、今ちょうどこちらは帰国のラッシュです。多くの日本人の知り合いが帰国していきました。そんな中、もうすぐ滞在2年となる自分の思いを少しお話ししたいと思います。

英語はどれだけ上達したのか
 恥ずかしいのですが、今も非常に苦労しています。センスがないのか、ある時期から伸びなくなってきている気がします。日本語で考えている時間が多いせいもあるかもしれません。できるだけ日本人とも英語で話すようにし、英語のクラスにも出て、ラボでもrotationの学生さんを持たせてもらって、無理矢理話す状況に持ち込んでいますが、それでも英語が出てこないことが多くて気を滅入らせます。まだ、言葉を翻訳しているのです。英語のクラスでも、多くの学生さんがすでに英語で考えているようで、発音はともかく言葉が直ぐに出てくるようで、それが出来ない自分が非常に悔しいです。電話でのやりとりなど、それなりに出来るようにはなりましたが、やっぱり日本語で考える時間を最小限にしないとだめなようです。あと、やはり声に出して読む練習も大事な気がしています。言葉が出ない、ということがこの訓練で少しは解消されそうな気がしています。また、話す内容を持つようにしなければ、会話が直ぐに止まってしまいます。Hi, How you doing? fine,thanks.だけでは、だめなんですね。話が出来ないと、やっぱり話しかけてもらえなくなります。一度知り合った人には、挨拶はもちろん、できるだけこちらからも話すようにすれば、もっともっと関係も持てるのだと思うのですが、ついつい緊張してしまいます。これは自分の性格の問題なので、そう簡単には直せないんですが。でも、自分の意見をもつ、というのは本当に大事ですね。相手が何か言ってくれたとき、話しかけてくれたとき、それにどれだけ自分の気持ちを込めて言葉を返せるか、日本語で話す場合でも当たり前のことなんですが、尚いっそう大事になります。たとえば、ある映画を見たとして、その感想を聞かれて、どれだけ言葉を尽くしてその感想を伝えられるか。どんなふうに面白かったか、どこが退屈だったか、その表現の力が、今の僕にはまだまだ欠けているように思えます。これはでも英語の問題ではなく、自分の人間としての問題であるわけで、これから魅力的な人間になるためには、直していかなければならない部分です。全くの初対面の人とも十分に話を盛り上げることが出来る、とかつて思っていましたが、どうもそれは違うなと、今は自分のことを評価し直しています。まだまだだめですね。

世界の中の日本
 日本のことはやはり気になります。アメリカのメディアに日本が取り上げられるときは、たいていチェックしています。先日のハワイの事故の時の森首相の対応は、やはり情けなかったです。強いリーダーシップ・指導力を厳しく問われるアメリカの大統領とは違い、漫然とゴルフを続けた信じられない態度には、あんぐりしてしまいます。そのような首相しか立てられない今の日本の政治の世界も問題ですが、閉塞感に悩まされている日本の姿も見えて、考えさせられます。先日あるサイトで、社会の教科書の歴史に関する記述の問題について議論されていて、興味深く読ませてもらったのですが、驚いたのは、今の社会の歴史教科書は、学生に卑屈な考えをもたらすようにしか書かれていない、という考えの人が多かったと言うことです。昔から不思議に思っていましたが、なぜ日本の政治家は、他国が嫌な思いをするような発言を繰り返してはいやいや謝罪して辞めさせられていくのでしょうか。アメリカでアジア出身の多くの友人を持つ今の僕にとっては、反省すべき過去の日本の汚点はしっかりと見つめて心に刻んだ上で、他国の人たちと新しい関係を作って行くべきではないか、そうでないとこれから先はやっていけないと思うのです。「過去のことを悪く見ることしか出来ず、いつまで経っても謝っていかなければならない、そんな状況で自分の国を誇れるのか?」という論調は、虐げられた相手のことを認めていない点で、間違っていると思います。私たちの先祖が、苦労して今の日本を作ってきたこと、そのことは事実です。ですが、その中にも多くの間違いがあり、多くの犠牲があって今の日本がある、その事実を、本当にあったことを、その意味を、私たちは学びそしてこれから先の生活に生かして行かねばならないと思います。

人とのつきあい
 僕はあまり多くの日本人とはあえて付き合わないように、ですが自然な流れに任せて付き合うようにしてきました。かといって、アメリカ人の友達が周りに一杯いるかというとそうでもありません。日本人同士のつきあいは大切にしたい反面、どれだけ深く付き合うべきか、今も答えが出ません。あるパーティに出かけたとき、せっかく多くの国の人が集まって英語を話す機会があるのに、日本人同士固まってしまっていたことがありました。話せないから仕方がない、という気持ちも分からないではないのですが、少し残念でした。かといって、同じ日本人同士なのに、英語でしか話をしないのも少し変ですし、なかなか難しいところです。基本は、一人でも日本語の分からない人が混じっている場合は、英語で話すけれど、そうでないときは無理をしない、ということでしょうか。
 僕は独身で彼女募集中でもあるので、日本の友人にはよく「金髪のお姉さんを彼女に!」とか言われますが、これも正直に言って非常に難しい。会話の壁、文化の壁はやはり大きなもので、簡単には崩せないのです。ある時日本人の女性に、「日本人の女性はアメリカ人の彼氏を持つことが多いのに、私の知っている限りアメリカ人の彼女を持っている日本人の男はいないのはなぜ?」と聞かれたことがあります。それはきっと、言葉の壁や文化の壁があるからではないかと思っています。アメリカ人の女性を口説き落とし、どれだけ理解できるか、お互いの気持ちをぶつけ合うことが出来るか、それはやっぱり言葉の壁を越えないといけません。僕の周りには、そんなに多くはないですが、アメリカ人の彼女と幸せに暮らしている男性も何人かいるので、決して不可能なことではないと思います。要は出会いのチャンスと言葉のことを気にしない勇気なのでしょうね。

学んだこと
 なんと言っても、お互いをまず認め合うと言うことでしょう。どんなに英語が下手でも、ちゃんと個人として見てくれます。そして、必ず理由を付けた上で議論をしてくれます。納得行くまで話をしてくれます。頭ごなしに「だめ」、ということはあまりありません。お互いに認め合った上で話を始めないと、他民族の国は成り立たないからなのでしょうが、わかりやすくて非常に良いと思います。曖昧なところをなくして合理的であり、そう言うところは大変重要だと思います。その反面、自分がしっかりしていていないと、厳しい状況に追い込まれます。個人の責任というものがはっきりしている社会なので、そう言う意味では、曖昧さが許されない厳しい社会であります。

では今回はここまでです。

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