9月の出来事


 こんにちは。しばらく更新していなかったので、またdepressionしているのではないかと御心配をおかけしてしまったようですね。すみません。9月は物凄く忙しくて、更新する余裕が全くありませんでした。そこで、今回はその9月の模様を簡単にまとめたいと思います。

またまた山登り
 9月は気温も下がりちょうどハイキングにはいい季節なので、8日と22日の2日、登ってきました。8日はTimとMount Olympusへ行きました。朝8時に彼を自宅で拾って、僕の車でtrail headまで15分程ドライブ、そこから急坂の多いこのtrailを4時間程かけてゆっくり登りました。片道わずか3マイルしかないのですが、5000フィートのelevationがあり、一気に坂を登ることになります。 trailそのものはよく整備されたもので、また危ない箇所もなく、非常にスムーズにいけるのですが、とにかくきつい。Timは途中で遅れだし、Seiji, I'm not sure I could make it...などと珍しく弱音を吐いていたのでちょい心配しましたが、十分に休憩を取り水を補給したら彼も元気になって、一気に頂上まで行けました。頂上の手前で岩のごつごつしたところがあり、そこだけ恐かったですが、登りやすく歩きやすいtrailで、また頂上からの眺めは非常に気持ちよく、さすが、Salt Lake Cityに最も近い人気のtrailというだけのことはありました。帰りはTimといろんな話をしながらゆっくり降りてきました。今度うまれてくる彼の赤ちゃんのことや、今後のお互いの進路のこと、そして今彼は非常勤講師としてUでgeneral biologyを教えているので、そのクラスのことなど、話題はつきません。興味深かったのが、アメリカでも日本で問題とされているような、大学生がなかなか勉強しないことがおこっているということ。それをTimは「学生さんは単に勉強の仕方を知らないんだ」と解釈していました。「このままではアメリカ人の学力はどんどん落ちてしまう」と危惧していましたが、僕が「でもアメリカには優秀な外国人が来て補うからいいのでは?」とポロっと本音を言ってしまったら、かな〜りムッとしてしまいました。それは言っちゃいけなかったですね。22日にはTim, Momo, Grace, Sujiet, Jennyと僕の6人で、再びLone Peakへ。今度はday hikeで、南側のtrail headからスタートしました。朝8時半頃trail headを出発し、細くて結構な急坂を3時間程登ると、手前の山の頂上に到着。そこからしばらく平たんな道を歩くと、ようやく目的のLone Peakが、前とは反対側(裏側)に見えてきました。この時点で午後1時半。Timはこの手前で足がつってしまい、山頂までは行けない、と断念してしまいました。最年少のundergraduateのJennyは、hikingを趣味にしている女の子で、岩の部分もへっちゃらでどんどん登って行きます。ここからは岩のごつごつしている恐げなところが続きます。でもJennyはまるでカモシカのようにあっと言う間に登ってしまいました。SujietやMomo, Graceはゆっくりですが僕よりもしっかりした足取りで登って行きます。僕はと言えば、だんだん恐くなってきて、恐怖と戦いながら一歩づつゆっくり登って行きました。そして、あと50メートル程で頂上というところに、ひと休みできる大きな岩があり、僕はついにそこでダウン! 恐怖には今回だけは勝てませんでした。頂上からJennyが、こっちへおいでよ〜、なんて叫んでいるんですが、くっそーと思いながらも、ここでいいよ、と言って僕はみんなをちょっと下から見上げていました。でも、僕のいるところはほぼ頂上で、7月に登ってきたtrailやキャンピングサイトもしっかり見えて、なかなかの眺めでした。帰りはみんなお疲れ状態でしたが、駐車場に車を見つけると、なぜかみんなダッシュ! 結構みんなまだまだ元気やん!? 家に辿り着いたのは夜の7時半でした。恐かったけれど、excitingなhikingでした。

先輩の帰国準備
 10月2日には、こちらで本当にお世話になった日本人の先輩が日本に帰国することになっていました。そこで、少しですがお手伝いをさせていただきました。日本へ送る荷物を郵便局へもっていったり、契約期間を終えたcable serviceのセットをAT&Tの事務所まで持っていったり、お部屋のお掃除を少しだけお手伝いさせていただいたり。Labor dayの週末には、The Great Salt Lakeに浮かぶEntelope islandと、Ogdenの近くにあるAir force museumにドライブにも行きました。先輩の持っていたビデオデッキ、コンポやテレビなども譲り受け、食料品なども分けていただきました。同じアパートに住んでいたので、お互いによく行き来していたこともあり、いろいろな思い出があります。29日には彼のラボの送別会に僕も呼んでいただきました。彼のラボと僕のいるラボは兄弟みたいな関係で、一緒にラボミーティングをしたり、飲みに行ったりしていて、僕もまあ一員みたいなものです。この送別会はとてもアットホームな感じで、ラボのpost-docの方の家で行われました。素敵な一戸建てで、広い庭にベンチを並べて、バーベキューとポットラックのミックスでしたがとても楽しかったです。その翌日の晩は、僕の家で日本人とのお別れ会をしました。共通の知り合いを集めて、僕が幹事で手巻寿司パーティにしたのです。お魚はRoyal Alaska Seafood & Gameで新鮮なものを手に入れることができました。このお店は、1415 South 700 Westにあり、M-F 6:00AM - 2:00PM, Sat 6:00AM - 1:00PM が営業時間で、倉庫みたいな建物の中に事務所があります。知り合いに教えてもらったのですが、ここからSalt Lakeの多くのお店に卸売りしているのだそうで、かなりお安く手に入れることができました。確かに同じ商品がoriental food marketよりもかなり安く売られていました。こことその他のお店で食料を集め、母親に教えてもらったレシピをもとに、当日酢飯を準備し、知り合いに借りた寿司おけで御飯をさましながら、お魚と甲殻類を切って準備しました。我が小嶋家では、のりを適当な大きさに切っておき、その上に好きなだけ御飯と具を乗せて食べるのが習慣なので、今回もそのルールに従ってみんなに食べてもらいました。少々酢がきき過ぎていたきらいはありましたが、みんな満足してくれたようで、よかったです。宴もたけなわになって、女医の先生が、先輩のためにということで、こちらで習っているチェロを演奏してくれて、これも非常に良かったです。というわけで、長い間お世話になった先輩も、帰国していきました。

新しいrotationの学生さん
 8月も終わりに近付いた時、ボスのDavidからNIH Grantの申請書をもう少し良くするために実験を一つ頼まれました。その計画を立てていたら、Davidから今度rotationの学生がくるから、Seijiに任せて例の実験を一緒にやって欲しいんだけど、とのこと。今年はよく学生さんをまかされるなぁと思いながら(少しは信頼されてきたかな?)、どんな学生さんが来るのかわくわくしていました。そして数日後やってきたのは、アメリカに着てまだ1ヶ月しか経っていないと言うLiliという中国人の女性。女性と言うよりは少女と言う感じの、幼さを残した学生さんでした。Liliは体が小さいこともありますが、その行動もなんだか中学生みたいで少々危なっかしいところがあるんです。ラボの中をぺたぺた音を立てながら走るし、機器の扱いも乱暴だったり、実験の後片付けをすっかり忘れて使用済みの器具をほったらかしにして帰ったり...これは心して面倒見てあげないといけないなと、気合いも入ります。彼女は中国の大学ではバクテリアの生理学を学生実習でかじったことがある程度らしく、ほとんど初心者なので、ひとつひとつ意味を説明しながら実験をすすめていくことにしました。面白いのは、彼女はとても好奇心が強い。まるで学部4年生の時の自分を見ているかのようでした。いちいち聞いてくるし、納得しないと気が済まないタイプなので骨は折れますが、英語の勉強にもなるのでこちらもやりがいがあります。でも、時々本当に分かっているのかなと不安になることがあって、こちらから質問を出すとやっぱり分かっていない。で、また分かるまで何度も繰り替えし説明するということを毎日やっていて、さすがに結構大変でした。ちゃんと見ていないと、とんでもないミスをするんで、こちらも気をつけていなければなりません。本当に危なっかしいんですが、そんな彼女も最初の目標を一発でクリアすることができて、しかも結果が予想に反してきれいだったので、こちらもとても嬉しかったです。指導に骨が折れた彼女も先週でrotationを終えて、次のラボへ移って行きました。

9月11日
 9月と言えば、この日のことを避けるわけにはいかないですね。僕は実は事件をリアルタイムには見ていません。川崎市に住む弟が国際電話をくれて、初めて知ったのです。朝8時頃、そろそろ起きようかなとウトウトしていたところ、電話のベルで起こされて、渋々受話器をとったら(普段この時間の電話は勧誘のものばかりなので、留守電になるまでほっておくのですが、弟の声がしたので取ったのです)、電話の向こうで弟がテレビをつけろというのです。大変なことになっているから僕にも気をつけろと電話してくれたのです。大袈裟な、と思いながらテレビをつけると、もうどのチャンネルもWTCから煙が出ている映像を流しているではないですか。CNNにすると、画面を半分に分けて、右側をWTC, 左をPentagonの火災を同時中継していて、画面の一番下が文字ニュースになっていました。この時はまだ情報が入り乱れていて何がなんだか、テレビのキャスターですら分かっていないようでした。11機の飛行機が乗っ取られてそのうち少なくとも4機が墜落して多数の死傷者が出ているということと、WTCおよびPentagonにこのうちの3機が突っ込んだと言うことが分かりました。しかし残りの7機がどこに突っ込むか分からない、というのです。いつもは9時にはラボに行くのですが、この日だけは家で10時前までニュースをチェックしました。いつからハイジャックであることがわかったのか、いつから犯人のことが取り上げられたのか、いつからビン・ラディンのことを重要参考人にしたのか、いつからAmerica at warというタイトルが出たのか、全く覚えがないのですが、この日のお昼にはもうすでに今話したことはTVで報道されていました。とにかくラボへ行ってみると、ラボは普段通りみんな来ていて、Davidを中心にしてみんなこの話題で持ち切りでした。みんなheartbreakingとか、horribleとか、とにかくショックを受けていることは明白で、オリンピックの時の警備は本当に大丈夫なのかと、心配していました。お昼になりUnionにあるcafeteriaに御飯を食べに行くと、大スクリーンの前に大勢の学生さんが集まってニュースにかじり付いていました。その横では、くり返し放送されるむごい映像に心が病んでしまった人をカウンセリングするコーナーが作られていて、数人の学生さんが深刻な顔をして話をしていました。午後になって、ラボにイラク人の父をもつundergraduateの学生さんがやってきました。いつも明るい彼がこの日ばかりは暗い顔をしていました。Bushはmilitary寄りだから、今後アラブ諸国に何が起こるか分からない、と悲しそうに話してくれました。僕はWWIIの時のJapanese Americanの様なことが起こってはならないし、少なくともラボの仲間はかわらず接するはずだよと、彼を励ましました。もちろんラボのメンバーは彼がアラブ系であることなど全く気にせず、いつも通りでした。家に帰りTVをつけると、HBOなど一部をのぞくほとんどのチャンネルがAmerica at warと題して、テロ関連のニュースを報道していました。放送を自粛しているところもありました。火曜日と言えば、超低俗番組のSon of the Beachというおバカな番組を放送しているFXや、かなりお下劣な番組を流しているMTVも、放送を自粛していました。わずかにHBOやA&Eがふだん通りの番組をやっていました。僕はずっとCNNをつけていましたが、その報道たるや、かなり戦争へ国民を誘導しているようにとれて、恐かったです。何度も、異なった角度から2機目がWTCに突っ込むところや、WTCが崩れる瞬間を放送し、パレスチナの人たちが今回のテロを喜んでいる映像(嘘らしいですが)をその直後に流すだけでなく、明らかにWWIIを意識したPearl Harbor、Kamikazeという言葉の連呼、そして翌日からはハイジャック犯とされる人物の顔写真をかなりの頻度で電波に乗せていました。そして、戦争支持が国民の9割近くになっていること、さらに一般市民への爆撃もやむを得ないとする人が6割近くもいたことなど、僕にはショッキングなことが次々と報道されていました。もちろんWTCでの必死の救出作業など、戦争以外の報道もたくさんされていました。大手新聞はテロのための特別紙面でほぼ一週間を使い、学生新聞にも最初の数日は好戦的な意見が多く載せられていました。木曜になり、Park buildingの前でcandle serviceが厳かに行われ、そのころからようやく落ち着いた意見が出てくるようになりました。なぜアメリカが攻撃されたのか? その背後にある思想は何か? など、感情でなく論理的に解説する文や報道が増えてきました。月曜日になり、お笑い系の番組もようやく解禁になって、David LittermanのLate showがその最初となりました。いつもはジョークばかりのDavidが神妙な顔で遺憾の意を表し、トークの最初のゲストはCBSのアンカーマンの男性(名前を思い出せない)。彼が涙ながらに、今回のテロはイスラムとは無関係で一部の過激派がアメリカ人をただ殺すためにやったことであること、アメリカ国民はこの新しい戦争を粘り強く戦わなければならないこと、を訴えていたのが印象的でした。そう、今はこのテロは宗教を背景にしたものではなく、テロリストの要求も政治的なものではなく、ただHateから起きているのだ、とアメリカ人の間では理解されていると思います。事件後1週間経ち、英語のクラスに行くと、アメリカ人で白人のValerieは今回の事件について「憎いとは感じない。ただただ、心が痛むんです」とコメントしていました。クラスのメンバーの意見はおおかた戦争は良くないと言うもので、報復はやむを得ないと言う人はほとんどいなかったです。International centerで働いているValerieの話しでは、Uのアラブ系の学生さんのうち10数人はアメリカでの学生生活を諦めて自国に帰ったそうです。残念でなりません。
 ここで自分の意見を少しだけ書きましょう。僕の個人的な気持ちとしては、報復には反対です。罪のない一般人を多数殺すことはあってはならない。やるべきなのは、犯人を捕まえ、アメリカ国内で裁判にかけて、アメリカの法律で罰することではないかと思います。日本は軍隊を送るのではなく、難民の救済や食料・医薬品での後方援助こそするべきで、日本は今回、その部分を徹底的に学び行い、得意分野にしてしまうことです。そうすることで、日本の国際的立場も確立するのではないでしょうか。しかし、アメリカ軍はきっと報復するでしょう(と言うかもう始めてしまった)。それは残念ですが仕方がないことなのかも知れません。そして僕はイスラムのことをほとんど知らない。これから少しづつ知識を増やさねばと思っています。いつだったか、Valerieが言っていたように、憎しみや恐れが起こるのは、お互いのことを知らないから。まずはお互いのことをよく知って、尊重すべきところはきちんと相手の身になって考えてみる。そこから今回のことも違った目で見ることができるのかも知れません。この時期にアメリカにいるのは、貴重な経験なのだから、アメリカ人がどこへ向かうのか、またアメリカに住む日本人としてハッキリ意見を述べられるまでになりたいところです。

留学生活報告のページへ戻る

メインページへ戻る