一時帰国


 こんにちは。しばらく更新していなかった理由の一つに、10月上旬は日本に一時帰国していたということがあります。今回はそのことを報告しましょう。

10月2日、3日
 この日の朝7時50分SLC発の便で発つことにしていたので、準備などで前日は物凄く忙しく、結局ほとんど眠ることができませんでした。帰国する先輩も同じ日の飛行機だったのですが、彼はDeltaを使うので、Unitedの僕とは時間が異なるので別々に出ました。朝5時40分頃Timにpick upしてもらい、空港へ。恐れていたセキュリティーチェックは思った程大したことなく、銃を構えた兵士が立っていたものの、わりとすんなりいきました。ただコンピュータだけはバックパックから取り出して個別にチェックを受けなければなりません。ゲート前に行ってしまうと、やることがなくなってしまい、ぼんやりとCNNをみていました。と、そのとき、知り合いの日本人とばったり。彼女も一時帰国だそうで、なんと関空まで同じ飛行機でした。SLCからSFOまでの飛行機の中では、完全に眠ってしまい、あっという間についてしまいました。SFOでは4時間の待ち合わせなので、ひまだったのですが、論文読むには眠いので、結局2人でずっと話していました。SFOから関空までの便はさすがにUnitedのせいか、半分が外国の方で、スチュワーデスさんも外国の方でした。飛行機は結構混んでいて、8割程は埋まっていたのではないかと思います。飛行機の中ではもう頭がもうろうとしていて、中途半端に眠ってしまいました。そしてほぼ定刻の午後4時にに関空に到着。2年ぶりの日本。不思議なもので、2年前学振の面接で帰国した時は、ホームシックになっていたこともあり、帰るのが本当に嬉しくて、毎日指を折りながらその日を待っていたし、ポートランドから名古屋行きの便に乗って中日新聞を手にした時は、ああ帰ってきた、と感動したものです。ところが、今回はアメリカに慣れたと言うこともあるのですが、仕事に追われて「あと1日余裕があれば・・・」と思いながら準備をして、眠いままに飛行機に乗ったと言うこともあり、関空に着いても、あまり感激もしなかった、と言うのが本当のところです。これにはちょっとびっくり。JRで母親と待ち合わせていた天王寺までいくときも、全然違和感がなく、あまりにもすんなり馴染んでしまったので拍子抜けしてしまいました。なにせ、英語のクラスの友人が帰国してから送ってくれるメールを読んでいると、少なからず逆カルチャーショックを受ける、とみんな言っていたので、ちょっと期待していたんですけどね。ともかく天王寺で職場から帰宅途中の母親と2年ぶりに再会し、近鉄で自宅まで帰りました。以前よりやや白髪が増えた母親を見て、心配かけて申し訳ない、という気持ちが湧いてきました。家に帰ると、父がすでに帰宅していて、ふとんと風呂の準備をしてくれていました。家に帰ってきて、ようやく落ち着けました。ここで初めて、ああ日本にかえって来たんだなと実感が湧いてきました。母親の作った夕食を食べて、2年ぶりにお湯をためたお風呂(いつもシャワーなので)に入り、10時のニュースを見てから寝ました。ひさしぶりのふとんは少々堅かったけど、熟睡できました。

10月4日
 この日は出社する両親につられて、朝8時頃に起き(やや眠たかったけど)、朝の連続テレビ小説をちょっとだけ見てから、荷物を片付けました。そして、この日の目標であるパスポートの更新に出かけました。僕の場合、日本に住んでいないので住民票はないため、必要なものは写真、戸籍謄本、戸籍附表だということが、アメリカにいる間に調べて分かっていたので、まずは近所のカメラ屋さんで写真をとってもらい、生駒市役所へ。市役所も2年半ぶりで懐かしくて仕方ありません。ロビーには大きなテレビがおいてあり、そこでMarinersの試合をやっていました。イチロー選手がちょうどヒットを打ち盗塁を決めたところでなぜか画面が切り替わって別の番組になってしまったので、しかたなく謄本と附表の申請に。わずか5分程で出してくれて、あっという間にここでの用事は終了。良く見ると総合受付の女性がとっても可愛かったです。さて、次は西大寺の奈良ファミリーの中にある奈良旅券事務所へ。申請書を書き、一時帰国のための申請であることを証明する?書類にサインをして、ここでも約10分程で手続き終了。思ったより早く済んだので、奈良の町へ。2年半ぶりの奈良は雨にぬれてしっとりとしていました。三条通を歩いて、あるラーメン屋をさがしていたのですが、結局見つからなくて、途中にあった王将に入りました。王将は名古屋時代に非常にお世話になったところ。同じ味が懐かしかったです。眠くなってきたので、学園前に戻り、昔は東西書房だった本屋さんに入って現在はやっている雑誌はどんなものがあるかチェック。やはり近鉄の優勝を祝う特集号が目につきました。そして家に戻り、セミナーの準備をしているうちに夜になり、会社から帰宅したであろう友人や弟に電話してひさしぶりの旧交を暖めました。

10月5日
 この日は昼過ぎまでセミナーの準備をして、4時頃家を出て、1週間後に出席予定の結婚式のために礼服を買いに行きました。母親が会員になっている難波のお店が大安売りをしているのでそこへ。思ったよりもサクっと買い物は終わり、母親の買い物にちょい付き合いました。その後その結婚する親友に会い、婚約者を紹介してもらいました。彼と会うのは本当にひさしぶり(5年ぶりかな?)。奥様になる女性はとてもきれいな人で、優しそうな人でした。彼がとってもうらやましかったです。彼とは中学時代にとても仲良くしていて、高校は別々になった上に彼はイギリスに行ってしまったので会う機会も減ってしまったのですが、その後もずっと手紙で何通もやり取りしていました。そんな彼が仲間内では一番早く結婚することになり、なんだか寂しいようなうらやましいような・・・ 長い留学生活を終えて(彼はイギリスとドイツ、アメリカに10年以上いたのです)立派に社会人になって、本当に彼は僕の目標となる人物です。難波の飲み屋さんで3時間程ゆっくり思い出話をして、僕の方が猛烈に眠くなってきたので、お開きに。家に帰ってきたのが10時半頃だったでしょうか?

10月6、7、8日
 この3日間は阪大の医学部での生物物理学会に出席しました。2年ぶりの学会、3年ぶりの発表で、懐かしさでいっぱいでした。度胸がついたと言うか、日本語での発表なので全然緊張はしませんでした。ここでもたくさんの先輩方、後輩のみなさんと会うことができ、いろいろ議論もさせていただきました。今、生物物理はNatureやScienceといった大きな雑誌に良い論文をたくさん載せていることもあり、なかなか面白そうなことが結構あったように思います。夜は前の研究室の人たちと一緒に飲みに行ったり、若手の会のみなさんに御一緒させていただいたり(今もかなり盛り上がっているようですね)、非常に楽しかったです。F1-ATPaseの分野で活躍されている野地さんにも久しぶりにお会いして、お互いの近況について話すことができました。

10月9日
 学会を終えて、この日は空きにしていたのですが、予定を変更して急遽名古屋の隣に済むおじさんの家へ。後々の予定を調べてみるとこの日しか開いていないと言うことで、みんなには呆れられましたが、高松まで「笑いの文化人講座」の16〜20巻を買いに行きました。この本はアメリカにいてどうしようもなく寂しくなった時にいつも読んで元気を取り戻していました。というわけで新幹線で岡山まで行き、マリンライナーに乗り換えて高松まで。名古屋まで行かねばならないので、滞在はわずか1時間半。駆け足で町の中心にある本屋さんへ行って、18巻をのぞく4冊とRemix1冊を購入、近くの食堂でさぬきうどんを食べて(べたやなぁ)、家族が好きな「名物かまど」を買って、大急ぎで高松駅へ。ぎりぎりでマリンライナーに乗って、一路名古屋へ。予定より1時間程遅れて日進のおじさんの家へ。おじさんの家でお風呂にまず入らせていただき、ゆっくりと話をしながら食事を楽しみました。おばさんの作ってくれた酢豚風煮込みはとてもおいしかったです。おじさんとはアメリカの状況を語り合いました。本当にお世話になりました。

10月10、11、12日
 10日の朝はおばさんが「これはおいしい」というパンを頂き、ふわふわの上品な味のパンをごちそうになりました。アメリカではなかなか美味しいパンには出会えないのでうれしかったです。そして午前中に名古屋は雲雀ヶ丘にある別のおじさんの家へ。おじさんは現在静岡にでかけていて会えなかったのですが、お部屋だけ使わせていただきました。お世話になったおばさん達と別れて、10日は一日翌日のセミナーのための準備。午後にはずっとお世話になっていた散髪屋さんへ髪を切りにいきました。ドアをあけるなり、「おかえりなさい!」といつもの調子で迎えていただいて、散髪台に座るなり、「前と同じで良かった?」とそれだけで、すぐにやってもらえました。アメリカではなかなか味わえない、ゆったりした雰囲気のなかでの散髪はとってもここちよく、頭も洗ってもらい顔も剃ってもらって、とっても気持ちよかったです。せっかく出てきたので、栄の夜をちょっとだけ楽しもうと、夜は栄のお店で夕食をとりました。そこのテレビで名大の野依先生のノーベル賞受賞を知りました。テレビに知った顔がたくさん出てきて、これは明日のセミナーが楽しみだなぁと思えてきました。家に戻って朝3時頃までかかってようやくPowerPointでのpresentationの準備が終了しました。
 11日の朝は9時頃まで睡眠を取り、Homma labの人たちの仕事を学会誌などで予習し、セミナーの練習を一通りやってから、11時半頃大学へ。2年ぶりの名大は工学部に大きな建物ができて入るものの、地下鉄はまだ完成していなくて、そんなに大きな変化はないように見えました。Homma labのメンバーとお昼をとった後、生協へ行って消耗品でアメリカで欲しかったもの(クリアリーフなど)を購入、教科書もいくつかチェックしました。欲しい参考書がなかったので、戻ってお世話になったHomma labのNさんに挨拶に。意外な情報含め、同級生の情報を頂きました。みんなそれぞれの世界で頑張っているようです。その後、Prof. Hommaのofficeへ戻って、lab memberとdiscussion. あっという間に時間が過ぎて4時からセミナー。たくさんの人が来てくれてちょっと感激。日本語でのpresentationはひさしぶりなので、最初は緊張しましたが、仕込んでおいたネタも徐々に披露しつつ、無事にセミナーは終わりました。その後ラボの中を紹介してもらい、僕がいたころとはかなり変わってきていることを実感しました。その後村さ来で飲み会を開いていただいたので、みんなで飲みにいきました。H先生が花束まで準備してくれて、こちらも恐縮してしまいました。いろいろ交流を深めた後、もう一軒行って、名古屋での夜は終わりました。
 12日はお昼に懐かしい友人と会いました。会社のお昼休みを利用してお昼御飯をご一緒させていただき、お互いの2年間を語り会いました。短い時間でしたがとても楽しかったです。その後、丸善やLOFTといった、かつて良く行ったスポットに行き、教科書を数冊、CDを1つ購入。そして、久しぶりに昔よく通っていた栄の「長靴と猫」という喫茶店へ。ここのマスターがとても素敵な女性で、カウンターに座ると、自分で好きなカップを選ぶことができ、目の前でコーヒーを豆から挽いて入れてくれます。お店の雰囲気は変わっておらず、同じマスターが相変わらず素敵な声でコーヒーを入れてくれました(僕って声フェチなんです)。上品なコーヒーの味も昔のままで、お店を出る時に、「久しぶりに来たんですけど、開店の頃からいらっしゃいましたよね?」と聞いてみると「ええ、来て下さってありがとうございます」と嬉しいお返事。気持ちよく名古屋を後にすることができました。

10月13日
 この日はUtahで大変お世話になり、この8月に帰国されたSさんを訪ねました。Sさんが現在お住いの交野市は実は僕が小学校6年まで住んだ町です。20年ぶりに訪れた交野は変わっているようで変わっていないところもあって、不思議な感じでした。Sさんのお宅にも伺わせていただき、すてきな御家族の方々にお会いすることができました。Sさんの家のある辺りは、昔1度だけ釣りに来たことがある程度でほとんど何の記憶もないのですが、すっかり開けて新しい住宅地になっていました。そしてSさんの車でなつかしい小学校、昔住んでいた家、ぼろかった河内森の駅(いまやあのぼろ屋は見る影もありません)、などなど回っていただき、それから菊人形の券があると言うことで、ひらかたパークへ。小学校の頃はここへ夏は水泳教室、冬はスケート教室に通ったもので、とても懐かしかったです。当時とはすっかりかわっていて、ディズニーランドのような感じです。菊人形も美しくてやはりこれが日本のパビリオンやなぁと実感しました。そして、懐かしいくずはの街を通り抜けて、奈良の家まで送ってもらいました。Sさん本当にお世話になりました。
 その後息つく間もなく、中学時代の同級生達と生駒へ飲みに。2年ぶりに会うみんなは相変わらずで、でも日本の社会でしっかりと揉まれて立派に社会人をしているのが分かりました。みんないい飲みっぷりで、翌日結婚する僕らの親友の思い出話で盛り上がりました。その後郡山へ行って3年ぶりのカラオケ。もう今の曲は全然分からないんで、みんなに言われるまま英語の曲を歌ったり。楽しいひとときを過ごしました。

10月14日
 5日に会った僕の親友の結婚式です。結婚式は昼からなので、午前中は頼まれていた新郎の友人代表としての祝辞の準備をしました。彼とは良きライバルであったこと、中学時代の思い出話、アメリカに来た当初彼のアドバイスがとても役に立ったし励まされたこと、などなどを盛り込んで、最後はCarol KingのYou've got a friendの一節を引用していつまでも友達だよと英語でしめくくることにしました。何も英語にする必要はなかったんですが、司会者の方が「わざわざアメリカから云々」と紹介してくれるのは目に見えているし、彼もアメリカで2年は生活していたので、英語でもいいだろうと思ってのことです。そして結婚式の披露宴に行ってみるととにかくすごい。本当に豪華な式場で、さらに集まった新郎新婦の関係者総勢おそらく100人以上。媒酌人の方を含め、名のある大会社の取締役とか社長とかとにかくものすごいメンバーです。僕はお色直しの後にしゃべることになっていたので、緊張でお食事もゆっくり味わえなかったり。でも、新郎・新婦とも、本当にきれいで輝いて見えました。次々と祝辞が進んで、彼のドイツ時代の上司と仰る方の祝辞はとくにimpressiveで、うまいなぁと感心しきり。そしていよいよ僕の番が。全文暗記していなかったので、手元に原稿を用意していったのですが、いざ前に立つと肝も座り、癖で少々早口になってはしまいましたが、とりあえず無事に済ませることができました。英語の部分では、お偉いさんのお席から「ほほう」との声も聞こえて、ひとまず良かったです。披露宴はとどこおりなく無事に終わり、昨日一緒に飲んだメンバーと親友のところに挨拶に行き、お祝の言葉を述べて帰りました。これからますます頑張っていくであろうM君に、心からお祝を申し上げます。いつまでも僕の良きライバルであって下さい。 式場を後にして、生駒に戻る友人と二人で、梅田でしばし話をしました。話はやっぱりどうしても結婚のことになります。お互いの苦しい胸のうちを語りあいました。家に帰って、デジカメでとった写真を親に見せながら、「あんたも早くね」なんて話していると、東京からUtahのValerieのclassで一緒で6月に帰国されたU夫妻から電話がありました。いつもfirst nameで呼び合っていたので、last nameでUです、なんて言われて最初誰だか分からなくて失礼しました。懐かしい思い出話や近況などを教えていただき、楽しかったです。今度は合コンの手配よろしくお願いしますよ!

10月15日
 この日は更新の済んだパスポートをとりに行き、その後阪大にいる、今度アメリカ東海岸に留学すると言うこのwebを通して知り合った方に会いにいきました。その方の仲間で、留学の話を聞きたいと言う方々5人とJR茨木駅で落ち合って、予約していただいた近くのお店でゆっくり話をしながらお酒を頂きました。みなさんいろいろな質問をくださって、できるだけお答えしたつもりですが、お役に立てたら本当に幸いです。このみなさんを含むグループで研究会を作っておられるそうで、若手の会みたいな活動をなさっているようです。アクティブですばらしいなと、自分の学生時代を振り返るようで楽しかったです。

10月16日
 この日は一日ERATO難波プロジェクトにお世話になり、セミナーをしてきました。プロジェクトリーダーの難波さんには本当にお世話になりました。そして、かなり衝撃的な情報交換もでき、充実した訪問でした。数々のすばらしい成果をあげられているこのプロジェクトもあと1年とのこと、チームが解散になるのは大変惜しいですが、これからもいろいろと情報交換しながらお互いを刺激しあえるといいなと思います。そして、この日でようやく日本でのお仕事は終わり。家に帰り、かねてから見たかった韓国映画を見ました。借りてきたビデオは「シュリ」。本当は「JSA」が見たかったのですがまだビデオになっていませんでした。この「シュリ」、確かにHollywood系のような雰囲気を持っていて、韓国や日本でヒットするのも良く分かります。でもUtahのkoreanみんなが、JSAの方がもっと面白いよ、というので、韓国映画はどんどんすごくなってきているようですね。

10月17日
 帰国もいよいよ翌日に迫りました。この日はやっと一日自由に使える時間を得たので、梅田に「千と千尋の神隠し」を見にいきました。久しぶりの日本の劇場、三番街 シネマという、大阪でもかつてはオシャレなポイントでの上映を見にいきました。平日のお昼と言うのに、結構たくさんのお客さんが入っていました。映画館の売店はアメリカと違い少々小さくて、300円で購入したコーヒーはサイズが3分の1くらい。アメリカでも売店は高いけれど、これは高いなと思いました。パンフレットは500円で、まあ許せます。劇場はきれいに準備されていていいのですが、残念ながら飲み物のカップを置くところがない。でも清潔であることが大事なので、まあいいかなと思いました。映画館の中では騒ぐ人もいなくて非常に気持ちよく見ることができました。映画そのものは、さすがに観客動員の新記録を作るだけのことはあり、アニメーションでしかできないだろうと思われるすばらしいファンタジー映画でした。ストーリーにも無理がなく、暴力の表現も極力抑えられて、とっても良かったです。爽やかな気分で映画館を後にすることができました。その後、Joshin電機で電卓を購入、ついでに電子辞書も、と思いましたが、高かったのでやめ。旭屋と紀伊国屋でゆっくり日本の本を堪能していくつか購入した後、両親と待ち合わせている心斎橋へ。最後の日と言うことで、外食になりました。大丸の中にある天ぷら屋さんに入りました。そんなに美味しくはなかったけど、親子で食事をすることがやっぱり楽しくて、また親の本心である「早く結婚してくれ」というのも痛い程分かり、はやく安心させてあげたいと思いました。帰りにUtahへのお土産物(group meeting用のお菓子としてレスポワールのクッキー)と薬を少々、難波にあったStarbacks coffeeでラテを買ってみました(サイズも味も同じ)。家に帰って、今回会えなかった弟に電話。仕事で苦労しているようで、疲れているようでしたが、体にだけは気をつけるようにと言って電話を切りました。深夜にはずっと見たかった、森田芳光監督の「39」を見て寝ました。

10月18日
 出発の日です。仕事に出かける母親とは午前中にお別れ。最初の渡米の際は京都駅まで送ってもらい、泣かれてしまったのですが、今回はしめっぽくなく送りだしてもらえました。父は有給があまっているとかで、関空まで送ってくれました。夏に父とは1週間一緒に過ごしているのですが、やっぱり心地よく送りだしてもらえました。やはり家族との別れはこの歳になっても寂しいものがありますね。UtahまではUnitedで帰ってきましたが、とくに何も問題はなく、Salt Lake CityではJung-Hoonにpick upしてもらって、無事家まで戻ることができました。

 今回はここまで。次回、日本で感じたことを少し書いてみたいと思います。

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