最近の自分の英語の状況


 こんにちは。週末は雪も止み久しぶりに穏やかな天気でした。先週話したUniversity of Utah women's volleyball teamは、残念ながらStanfordに敗れてベスト16どまりでした。 Stanfordには、オリンピックで活躍したLogan Tomがいて、Salt Lake City出身のLoganとの対決は、こちらでも少々話題になっていました。
さて、今回は最近の自分の英語のことについて話したいと思います。

なかなか伸びない
 もうこちらへきて2年半経ちます。たいていの研究留学の方は3年で帰国される方が多いので、この時期になると帰国準備に入る頃でしょう。僕は延長することになりましたので、もうしばらくこちらにいることになり、言葉の訓練も幸いにもさせていただけることになりました。2年半いると、さすがにいろいろな言い回しやアメリカ人のジョークも少しは分かるようになりました。テレビや映画、新聞、雑誌などで、様々なことを吸収してきたせいか、最初の頃にくらべると会話における話題の提供も少しはマシになったかと思います。でも、昔よく留学経験者の方に言われた、「ある日気がつくと、すんなり話していたり聞き取れたりしている」という、「悟った」というか「つかんだ」という状況にはまだ達していないのです。すらすら何も考えずに英語が出てくるようには、悔しいけれどまだなっていないのです。いくつか最近の悩みを挙げてみます。

知らない人と気楽に会話ができない
 アメリカでは、見ず知らずの人や初めて会う人にも気軽に話をすることが多いです。バス停で待っているときに一緒に待っている人と話すこともあれば、バスに乗って前の方に座ると運転手さんが話し掛けてくることがあります。Grocery storeへいくと、レジの人とたいていの場合話すことになります。他にもエレベーターに誰かと一緒に乗った時や、コーヒーショップでお金を支払う時、スキー場で知らない人とリフトに乗った時、知り合いの少ないパーティ会場など、いろんなシチュエーションがあります。相手から話をしてきてくれる時はまだ少し気楽ですが、何を言っているのか分からないことがまだ結構あり困ります。また話し掛けてくれないときは、こちらから何か話さないと気まずい空気が流れることがあります。そう言う時が非常に困るのです。周りのnative speakerを見ていると、何気なく非常に自然に話が始まり、会話が続いていきます。レジなどで前の人のチェックアウト中にかなり二人が盛り上がっていて、その後が僕だったりすると、会話が「How'ya doin'?」「Fine, thanks」だけで終わってしまい、何だかレジの人に対して「話ができなくて申し訳ない」という気持ちになってしまいます。なんとかトライする時もありますが、まだ非常に勇気がいるし、話すことを並んでいる間に頭の中で整理して準備しなければなりません。これを残りの滞在中に何とかしたいなと思います。

  Momoとその友人達とのget together eventでのtraining
 仲良くしているMomoは、非常に社交的でたくさんの友達がいます。時々彼の家にdinnerに招待されるのですが、その時は僕も何か作って持っていきます。この時には、僕とMomo、彼の奥さんのGraceだけでなく、彼の友人も入れて5,6人のちょっとしたパーティになります。そこで会うのはなんだかんだで一度くらいは話したことのある人が半分くらい、残りは全くの初顔あわせです。例えば、この前はChemistry departmentのgraduateであるOlgaという女性が二人(偶然にも二人ともfirst nameがOlga)でした。彼女らはRussiaとUkraineでそれぞれ育ち、今はUSで学生をしているのですが、物凄く英語が達者で驚きました。その上なお驚いたのは、彼女ら二人になるとロシア語で話しているのです(二人はroommate)。完全に頭の中に二つの言語が共存している状況の様です。二人とも本当によく(英語で)喋る。言いたいことがどんどん言葉となって出てくる。僕など彼女らの前であいづちをうつのが精一杯です。ようやく話が出来たのは、食事の時に僕の作ってきた料理を説明する時でした。幸いにも参加者にはまずまずの評価だったので良かったですが、その日はかなりショックを受けて帰ってきました。他にもMomoに誘われてbackpackingに3週間前に出かけました(夏の時の話は前にしましたね)が、この時のメンバーはUkraine出身のOlgaと、Momo, Grace, 僕、そして当日初めて会うAymというchemistryのgraduateで、MomoとGrace以外はほとんど知らないために、結構緊張して出かけました。前のSujietとAmitの時もそうでしたが、AymやOlgaともすんなりとけ込めてほっとしました。Backpackingなので、長い時間話をしながら歩いたり、テントを張ったり、食事を作ったりと、一緒にいる時間がどうしても長くなるので、話をする機会は否応無しに増えます。シャイな自分には、かなりいいトレーニングになりました。英語が下手だから話が出来ない、だから黙ってしまう、そのために全然うまくならない、という悪循環をできるだけなくす努力をさせてもらい、こういう機会を与えてくれるMomoには本当に感謝しています。それにしても、もっと気張らなくても話をスムーズにできるようになりたいと思いました。

ラボや大学で
 昔にくらべれば、ラボのメンバーともかなり話をする様になったと思います。実験のために手を動かしながらも、会話することができるようにはなりました。しかし、native speakerのメンバー同士のように、話を盛り上げられない自分がまだいます。ボスのDavidも、気楽に話し掛けたりするのは、やっぱりBryanだったりTimだったりします。話好きのBryanとラボの中に二人きりになると、喋る時間がへり、まあ仕事をすすめるにはいいのですが、この時もBryanには「盛り上げられなくて申し訳ない」という気持ちになってしまいます。それにしても、どうして彼等はあんなに話すことがあるのだろうか?と、いつも感心してしまいます。ラボのみんなが話で盛り上がっている時に、僕も入っていって、それをリードできるくらいになりたいといつも心の中で思っています。時々はそれがかなうのですが、まだ全然ダメですね。
 同じdepartmentにはOtsugaさんという日本人のgraduateがいるのですが、彼には本当に頭が下がります。彼の場合顔つきが日本人と言うだけで、他はもうまったくnativeとかわりません。彼を中心にして輪が出来て、nativeと普通に会話しているところや、departmentのセミナーで質問しているのを見ると、いつかきっと僕もあんなふうになりたい、と思います。悔しいけれど、今Biology departmentで一番英語が出来ないのは僕なので、それをなんとかしたいと思いますね。
 ところで、セミナーと言えば、今までに何回か日本人のspeakerのseminarを見る機会に恵まれました。どの先生も多少日本人特有のアクセントが残るものの、堂々とした発表とすばらしいスライドの出来で、見ている自分も嬉しくなりました。ただ質疑応答の時に、アメリカ人との違いとして一つ気付いたのが、「語尾がやや聞き取りにくい」こと。そのために、答えがはっきりしないように聞こえてしまう。自分も同じような経験があり、分かってもらえなかったことがあるので、それが少しだけ気になりました。それはともかく、こうした日本の研究者の活躍には、本当に刺激されますね。

中途半端な自分
 こうして書いてくると、自分は中途半端なのかなと思います。アメリカに住むと覚悟をきめてきている人たちほど英語に対する努力をしていないし、1年あるいは半年の短い滞在の人達ほど割り切っているわけでもない。日常生活に困らない程度に会話はできる様になったが、それ以上の進歩がない。アメリカでの生活に大変満足している人たちと日本のネガティブな面の話になると「日本もそんなに悪い国では無い気もするけどなぁ」と少し反発を感じる一方で、日本の悪いところをアメリカ人に声高に話してしまう自分がいる。日本人同士で固まってしまうことにあまりいい気がしないけれど、イベントに気楽に誘うのは結局日本人だったりする。気がつくと日本人の前で無理して英語で話したり、英語混じりの会話にしようとしたりしている。前に「君はアメリカ人になろうとしているように見える。日本人の間で話をする時に英語の撥音を入れるのは不自然な気がするよ」といわれて、意識していなかったことだけにハッとしたことがあります。気負っているだけなのかなと、無理しているだけなのかなと、そんな気もしています。上にも書いたように、周りを見回すと、他国から来ている人たちは自国語を気にせずにどんどん使っていることに気が付きます。僕が教えている韓国人の学生さんを見ていると、その思いは特に強くなります。彼の周りには多くの韓国人の友達がいて、その人たちとはハングルでずっと話しています。彼は韓国人の社会の中で生活しているようで、興味深いです。少し前に英語のクラスで'melting pot'と'salad bowl'という言葉を習いました。前者はみなさん御存知のように「人種のるつぼ」ということで、様々な文化・人種が混ざって一つの社会を形成していることをいうのですが、最近はどちらかというと、salad bowlと呼ばれる、一見その社会はmixしているように見えて実は各文化・人種ごとに分かれてお互いに干渉しない、そういう地域が増えてきているとのこと。USの大都市でこのような移民の街ができているそうです。アメリカと言う別の国で生活していく中で、自国の文化・アイデンティティーをしっかり保ち主張しているこうした人たちの強さを感じます。Momoには「Seijiはもう十分話せるよ。君の場合には実験してその結果をdiscussionできるだけの語学力がつけばそれでいいんじゃないか?」と言われました。「でも、もっと話せたら、もっと楽しいしみんなを笑わせたりできるんだけどなぁ」「今でも十分Seijiはfunnyだと思うよ。それにOlgaたちはこの国に住むと決めてるみたいだから、そりゃ覚悟は違うさ。最低限流暢に話せなければ永住するのは大変だよ」。この時も励ましてくれるのは分かっているんですが、それでも少し悔しい思いは残りました。
 もう帰国した知り合いはかつてこう言ってました。「アメリカには仕事をしに来ているのであって、英語を学びに来ているわけではないと思っている。だから最低限話せるようには努力するけれど、それ以上に結果を出せるように努力する方が大切だと思うよ、特に僕らのような時間制限ありで研究しに来ている身分だと」。彼の言うことに、その当時は少し違和感を感じていたのですが、今はその通りだなと思います。これからは、ただ頑張るのではなく、考えて頑張る(当たり前ですよね)ことにfocusしていくべきだなと思いました。

最後に、感じたこと
 英語は来た当初よりはマシになった気はしているが、聞き取りも話す方も全然だめと言うこと。特に最近は思ったことをきちんと言葉にできていないことが多い。なまじ相手の言うことが分かるようになったために、言いたいことが喉元まで来ているのに英語にならないんです。これは喋る訓練ができていないからでしょうね。TVや映画、新聞、雑誌だと、読んだり聞いたり、結局受け身です。自分の口から言葉を出す、という行為に関しての訓練になっていない。最近ではTVでの聞き取りの訓練も、結構筋が分かるようになってしまっただけに最初の頃のような一つ一つの言葉まで辞書で調べることがなくなり、覚えるに至ってません。もう少し、記事を声を出して読んだり、TVの台詞を発音してみたり、そうすることで言葉を覚える必要があるなと思いました。

今回はここまでです。後2年いる間に、少しは話をできるようにしたいと、心から思っています。

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