オリンピック観戦


 みなさん御無沙汰しています。オリンピックが無事終わり、街はすっかり大人しくなりました。明々後日からはパラリンピックが始まります。
今回のオリンピックは僕にとって大きなカルチャーショックでした。すぐに更新しなかったのは、気持ちの整理ができなかったからです。今回はまず自分が参加したイベントを紹介して、次回に感想をまとめてみたいと思います。

オリンピックが始まるまで:大学は?
 University of Utahは、1月最終週を境に1ヶ月ほどのオリンピックブレイクをとりました。1月も最終週になると、だんだん街の準備も進んできて、あちこちにテントが並べられ、大学内にある選手村にも選手が続々と入って来ているというニュースが伝わってきました。選手村には僕ら一般人は入れなくて、柵でかこってあったそうです。この選手村になっているところは、学生さんのための寮のあるところで、オリンピック期間中学生さんは一時別のところに引っ越して、その寮に選手の方々が滞在するのです。学生さんの引っ越しは12月中に行われました。知り合いの多くが、引っ越さねばならずかなり大変だったと聞きました。この頃から、大学のまわりのセキュリティーチェックも厳しくなり、噂では大学のあちらこちらにスナイパーが隠れているということでした。夜になると、たくさんのポリスがうろうろしていて、気味が悪かったです。同時に変な格好のヤンキーみたいな若者のグループもBiology Buildingの前にたむろしていて、あまり関わりたくなかったですね。というのは、ちょうどこの頃、僕の家から1ブロックのところで、インドからの留学生が、whiteの若者数人に後ろから急襲されて意識を失うという事件があったからです。明らかにhate climeで、僕も気をつけなければならないと思いました。
 大学の中も、たくさんの金網が張られ、オープニングセレモニーのための厳重な警戒が張られました。僕ら大学で働いていたものにとって大きな問題だったのは、駐車場が極端に減ることでした。僕は歩いて通える距離なのでいいのですが、車でないと来れないような人たちにとっては駐車場の問題は切実なものでした。11月下旬から、スタジアムの前の学生向けの巨大な駐車場がSLOCに完全に占拠され、4月まで使えなくなり、学生さんは別の方法で大学に来なければなりません。大学のstaff用の駐車場も、2月に入るとそのかなりの部分がSLOCに提供されることになり、大学で仕事をせずに家でデスクワークをする先生方が増えました。この問題に関してはかなり前からfacultyのmemberの間で不満がたまっていたようです。しかし、そうはいっても、実際には多くの人たちが大学に来なかったので、僕は期間中ほとんど毎日車で登校していました(笑)。
 2月になると、大学のビルは全てロックされ、カギを持った人だけしか入ることができなくなりました。そして自分の知らない人があけてくれと頼んでも絶対に開けないようにというお達しが出ました。これには僕も恥ずかしい体験があります。ある日、実験していると、窓をどんどんたたく人がいます。Blair labはLife Science Buildingの1階なので、ドアをあけてほしい人たちが、いつも僕のデスクの前の窓をどんどんたたくのです。誰か良く見えなかったので取りあえずドアの前まで行くと、その方は僕の全く知らないお年寄りでした。ドアをあけてくれと言うのです。知らない人は入れないように言われているので、どう見ても悪人には見えないその人に、取りあえずwho are you?と聞くと、「ワシはかつてここで働いていたDr. ....だ、名誉教授だよ!」 その名前にかすかに反応する自分。慌てて、ドアをあけて、Sorry for my rude attitude..等と言いながら頭を下げました。えらく失礼なことをしてしまったものだと、恥ずかしかったです。
それから、Biologyで働く人は学生も含めて全員ID cardを首からかけることを義務付けられました。僕の場合困ったのは、ぴっぴタイマーをいつも首からかけているので、その磁石とID cardの磁気コート部分が接触しないようにしなければならなかったことです。最初の数日はしかたないのでIDを背中にぶら下げていました。変な格好なので皆から笑われてしまいました。と、大学はこんな感じでセキュリティーに気をつけながらも、実験は普段通りにやっていました。ただ、さすがにオープニングセレモニーの時は混乱をさけるために大学に行きませんでしたけどね。

オリンピックが始まるまで:街は?
 2月に入ると、街の中に様々な国の人たちや、明らかにUtahnでないアメリカ人たちが溢れるようになりました。ダウンタウンのモールに行けば、各国チームの関係者らしき人たちが買い物にきていました。路面電車TRAXもUniversity Lineが12月に開通し、僕の家のすぐ近所から乗れるようになりかなり便利になりました。たくさんのオリンピック関係者が街を闊歩していました。SLOCの人たちは、シンボルマークの入った青のダウンジャケットを着ていて首から写真入りのネームプレートを下げているのですぐ分かります。一般のボランティアの人たちは、シンボルマークの入った黄色のダウンジャケットを着ていて、同じように首から写真入りのネームプレートを下げています。競技会場に行くと、緑のジャケットを着た人たちが、競技の進行をヘルプするボランティアとして活躍していました。また、黄色に黒のラインの入ったジャケットを着ているのはポリスです。もちろん軍の人たちは軍服を着てました。

 オリンピックのために、たくさんのダウンタウンのイベント会場が設けられました。メダルセレモニーの会場、courthouseの前のイベント会場、Gallivan Plazaというコンサートなどを行う屋外イベント会場、などなど。main streetには、コーンのような形をした簡易施設が歩道のあちこちに並べられ、スナックを売ったり、案内所になったりしていました。ホテルの前にはたくさんのセキュリティースタッフが並び、カメラを首から下げた報道陣らしき人たちがあちこちで見られました。いよいよ、本当にオリンピックが始まるんだ、という実感が涌きました。直前になると、日本の報道陣がHollywood Videoの前で収録をしていたり、選手らしき人たちが、僕の良く行くスターバックスにいたりと、あちこちで見かけるようになりました。

 そして2月7日にはトーチリレーがついにSalt Lakeにもやってきました。新聞を見れば、大学やうちのすぐそばもコースに入っていたので、せっかくだからと言うことで見に行きました。さすがはお祭り好きなアメリカ人、沿道にはたくさんの観客がいて、とっても寒かったのですがみんな我慢して待っていました。予定時間を結構すぎてからようやくランナーが現われて、もう大騒ぎ。日本のマラソンのシーンみたいに、一緒に走って行く人もいて、その場にいるのは一瞬ですがかなり盛り上がりました。あとで見ると、走り終わった人が、見に来ていた子供達と一緒に写真をとっていたりして、微笑ましかったです。そのまま家に帰り、テレビをつけると、トーチリレーはその日のゴールであるUtah Courthouseに到着する寸前で、クリスティ・ヤマグチや、Utah Jazzのストックトンがリレーをしているところで、沿道ははじめてみるようなものすごい人であふれていました。ゴールはパラリンピックのメダリストの方が担当されて、無事にゴールすると同時に花火が打ち上げられ、コンサートが始まりました。こういうお祭りはやっぱりアメリカ人上手ですよ。
 こうして、ビンラディンがSalt Lakeに潜伏しているとか言うネタも流れる中、何ごともなくオープニングセレモニーの日を迎えました。

オープニングセレモニー
 さて、セレモニーの日は朝雪が積もり、寒い朝となりました。天気が心配されたのですが、曇っていた空は午後から晴れだし、無事にセレモニーを迎えることができました。この日はどうしてもラボに立ち寄らなければならなかったので、歩いて大学まで行きました。ものすごく厳しい警備で、とくに午後はTRAXもバスも動かず、セレモニーに参加する人たちは、バスによるピストン輸送で開始のずいぶん前に運ばれていたようです。ラボの前も10数人のポリスが並び、上空にはヘリが飛び、ものものしい感じでした。そそくさと家に帰り、大人しくテレビをつけてセレモニーを見ました。
 セレモニーそのものは大変良くできていたと思います。僕は何ごとも起こらなかったことが一番の印象でした。ずっとハラハラしていましたから。オリンピック放送を一手に引き受けるNBCが、どのようにセレモニーを流すのか、関心を持ってみていたのですが、まあまあ無難な感じ。しかし、スポーツキャスターとしてそれまで良い感じを持っていたBob Costasにはその後の放送でがっかりさせられます(これに関しては次回)。Bobといっしょにキャスターをしていたのが、NBC朝の人気ニュースショーのTODAY(ズーム・インみたいな感じの番組)をメインで担当しているKatie Couric。この人のいかにも視聴者向けと言う笑顔がどうも好きになれず、TODAYは一度も見たことがなかったのですが、彼女はなかなか上手にBobと番組の進行を進めていました。入場行進のとき、axis of evilと言われたイランが入場の際にはどうなることかと思いましたが、Bushのこわばった顔を見せて特に何ごともなく流されました。日本の登場はそのすぐあとでした。107人もの大選手団なので、入場行進もそれなりに時間がかかるのですが、不思議なことにそれまで間を開けずに喋っていたBobとKatieが急に黙ってしまい、「長野では予想以上の成功を収めました」とのコメントのあと、黙ってしまいました。せっかく旗手になった三宮選手のことを紹介してくれると思ったのに、日本チームは印象が薄いのか、長い沈黙のあと、ボブスレーの選手のUSAヘアーを見て、これは一見の価値ありよ!というKatieのコメントとthanks for asking me!というBobの返事で終わってしまいました。さむ〜。
 僕が嬉しくなったのは、やっぱり五輪の旗を船木選手が旗を持つ一員になってやっていた時ですね。この時はちょっぴり自分が日本人であることを誇らしく思いました。WTCの旗が出てきた時は、しかし、う〜んと考えてしまいました。でも、トーチリレーの最後のシーンはなかなか良かったですね。あとBushの開会宣言にはえ?ってちょっとびっくり。ま、賛否いろいろあるでしょうが、セレモニーは非常に美しく、あのライス/エクルス・スタジアムがあんな一大イベント会場になったなんて非常に感慨深かったです。そして何ごとも起こらなかったことが、一番嬉しく思えました。

観戦その1:ノルディック複合個人戦ジャンプ(2月9日)
 セレモニーの翌日、朝4時半に家を出て、5時発のバスでオリンピックパークへ行きました。初日は様子が分からないので、SLOCが準備したバスに乗ることにしたのです。このバスはダウンタウンのCourthouse前(駐車場無し)か、巨大駐車場のあるUtah State Fair Parkから、各会場へ向けて早朝5時から出ています。往復でたったの5ドルなので、渋滞の中を運転する煩雑さを思えば、多少の早起きは我慢できると言うもの。しかし、このMountain Venue Expressも、全部予約制で、結局席を確保できたのはこの日だけでした。とりあえず、5時前にState Fair Parkに着くと、そこにはすでにたくさんの人がいて、みんなバスに向かっています。ボランティアの人たちが丁寧に車を誘導してくれるので、非常にスムーズに自分の車をとめることができました。ものすごく寒い朝だったのに、本当にごくろうさまと言いたかったです。バス乗り場の前でも、ボランティアの人たちが、乗客をスムーズに誘導していて、僕もすぐに乗り込むことができました。バスは5時過ぎに出発し、ジャンプ会場にはなんと5時半に着いてしまいました。大渋滞があるかもしれないと言うことで、朝5時発だったのですが、肩透かしを食らった感じです。ゲートの開門は6時半なので、バスの運転手さんも「寒いから中で待っていていいよ」と言ってくれて、多くの乗客さんが6時過ぎまで静かに座って待っていました。6時になって、僕は外へ出てゲートの前へ並びに行きました。まだ外は真っ暗、でも大勢の人たちがゲートへ向かってきます。僕は前から10人目くらいのところで、待っていました。ここでもたくさんのボランティアの人たちが、セキュリティーチェックのために、準備をしていました。ゲートは結局6時55分に開門。身につけているすべての金物をはずして、飛行機の搭乗チェックのような厳しい審査を受けます。デジカメは作動するかどうかまでしっかりチェックされました。ここからジャンプ台までは1キロほどの上り坂です。バスもたくさん運行されているのですが、僕の周りはみんな歩いて登っていました。途中地点で休憩所があり、トイレに行ったり水をもらったりできます。トイレはすべて簡易製のもので、手を洗うための水は出ません。そのかわり揮発性のジェルが備え付けられていて、それで手を洗い擦るとあっという間に消毒され乾いてしまうと言うわけです。さて、ジャンプ台までの道のりは結構長いので、体もぽかぽかとあたたまりますが、道の各所に立って待っているボランティアの人たちは凍えていて可哀想でした。というわけで実際にジャンプ台の前に着いたのは7時半頃。ジャンプ台の前で、ボランティアのお姉さんから、完歩記念のピンをもらいました。ついでに写真もとってもらいました。そしてようやく夜があけて明るくなってきました。試合開始まではずいぶん時間がありましたが、僕はランディングのすぐ後の辺りに陣取りました。立ち席なのでしんどかったです。試合までの間は、ふもとのところで犬のショーをやっていました。僕はこのイベントに一人で来ていたのですが、そうこうしているうちに、友人のBryanたちが偶然にも周りに来たので一緒に応援しました。彼等アメリカ人と一緒に応援するとやっぱりノリが良くて面白かったです。テイクオフ直後からランディングするまでのあいだ、「う〜〜〜〜〜っ」て、シャウトするんですよ。例の、阪神の応援「う〜〜〜三振!」みたいな。日本人選手の時には「う〜〜〜〜〜ばんざーい!」って、着地のあとにハイタッチなんかしたりして、なんだかよくわからんお祭り騒ぎになっていました。面白かったのは、僕のすぐそばにいたWisconsinから来たと言う、若者二人組が、ビデオを片手に、「これからhuman experimentを行う」とレンズに向かって言ってるので、何を始めるのかと思いきや、にやにやしながら、USA! USA!とはじめたのです。最初はにやにやしていたのに、急にマジな顔になり、声もでかくなってUSA! USA!とやりだしたので、僕らもしゃーないので、つきあってUSA! USA!とやりましたが、その努力も空しく、experimentは失敗に終わり、コールは伝搬しませんでした。彼、How embarrassing!!!と言って泣きそうな顔してました。周りには日本人がいなかったので、アメリカのノリで盛り上がり、着地する選手に向かってわけ分からんポーズとかとっていると、防護柵の前でちっちゃな日の丸で応援して目立っていたのか、共同通信のカメラマンの人に写真をとられてしまいました。どこかに載っているかもしれません。
試合の方は永年応援している荻原選手がまずまずのジャンプでほっとしました。いつもの派手なポーズがなく本人は納得していなかったようですが、周りのアメリカ人もフォームの美しさは誰もが認めていました。2回目のジャンプを待つ待ち時間の時に、会場のDJの人が、盛り上げるためにいろいろやっていて、その中で日本人の女の子2人組がインタビューされていました。3択のクイズに正解すると、その日のメダルセレモニーでコンサートをするDave Matthew bandのチケットをもらえるというチョーお得なインタビューでした。しか〜し、最初に彼女らが出した答えは間違いで、苦笑いをしながらDJが会場にみなさんはどう答えます?と聞いて、会場からBという大歓声があがったにもかかわらず、再度問われた彼女らは受けを狙ったのか、英語が分からなかったのか、Cと答えて見事チャンスを失ってしまいました。DJもとほほって感じでした。ほんと、とほほです。帰りは高速に乗るまでが大変でしたが、そこからはスムースに流れ、無事にシティに帰って来ました。

観戦その2:ノルディック複合個人戦クロスカントリー(2月10日)
 この日は5時起きで自分の車で複合の後半の会場であるソルジャーホローまで行ってきました。真っ暗の高速道路I-80はかなり恐く、うねうね道でバスなど大型車の横を追いこさねばならない時は、かなり緊張しました。後ろにぴったり付かれて、はよ抜けやゴルァ、と言われているようで、気の小さい僕はひぇーと言いながら運転していました。それでも1時間ほどのドライブで7時前に駐車場に到着。ここはものすごく寒くてたぶん零下20度くらいだったと思うのですが、たくさんのボランティアの人たちが交通整理をしてくれて、とてもスムーズに駐車できました。朝早くから感謝しています。競技会場へは、ここからバスで行くことになります。例によってセキュリティーチェックを行い、ゲートをクリアしてから、バスに乗り込み、10分くらい走るとソルジャーホローです。ここでは、アメリカ西部の歴史を展示したり、コンサートを開いたりして盛り上げをはかっていました。アメリカではクロスカントリーはあまり人気がないからなのか、こうしたアトラクションで盛り上げをはかっているようです。チケットもかなり安かったです。7時半に着いたので、会場のボランティアの人たちと話をしながら観戦ポイントを探し、2キロ地点の坂の上で選手を見ることにしました。ここだと、坂を懸命に登ってくる選手を間近にみることができます。不思議なことに、観客は相当な数来ていたのに、僕のいたところまでは誰も来ませんでした。テレビの撮影クルーと各国チームのコーチがそのかわりいました。ボランティアの女性がすぐ近くにいたので、試合開始までのあいだちょっとおしゃべりをしたりしていました。とにかく寒いので、歩いていないと足が凍ってしまいます。彼女はモルモン教の大学BYUのある街として有名なProvoの出身でだんなさんがBYUの学生なのだそうです。最初ドイツ人かと思った彼女のブロンドの髪が凍って真っ白になっていたのでびっくりしました。そう言う僕も鼻の中が凍りました。 結果は御存じの通りで残念ながら荻原選手の11位が最高でした。選手が出てくるかなと、待っていましたが無理で、サインはしてもらえませんでした。でも、観戦にはほんともってこいの会場です。目の前を選手が滑って行くので、直接応援の声をかけられます。まわりのコーチ達が、UP! UP!と言う中、僕は日本語で、「がんばれ〜」と大声で応援しました。声の大きさにはバレーやってたので自信があります。声援ははたして選手のみなさんに届いたでしょうか?
帰りのバスの中で、お客さんたちと話をするチャンスに恵まれ、これがまた楽しかったです。そこで興味深かったのが、「なぜ女性のジャンプ競技がないのか?」という疑問でした。さすが、女性も男性と同じようにできるはずだ、という考えが普通のアメリカ社会ならではの疑問でした。
試合のあと、ダウンタウンでビールを飲んで帰ろうとしたら、日本純ジャンプチームのトレーナーさんとたまたま一緒の電車に乗ることになり、お話を聞かせていただきました。その日ノーマルヒルの試合で転倒した葛西選手は大丈夫ということで、ほっとしました。彼から、大きな日の丸をもらいました。

観戦その3:スピードスケート男子500m決勝(2月12日)
 直前になり急にチケットが手に入ったのでオリンピックオーバルまで見に行きました。清水選手の金メダルが期待されるということで、日本人の友人がみな勢ぞろい。僕もチケットを売ってもらった日本人の先生の御家族と一緒に見に行きました。さすがに山でないので暖かく、観戦しやすかったです。凄くたくさんの日本人がいて、またテレビや新聞の人たち、たくさんの芸能人を見かけました。松岡修造さん、日テレの女子アナの松本さん、陣内貴美子さん、荻原次晴さん、舞の海関、有動アナなど、めったに見られない人たちがいてすごかったです。僕は入り口で田畑真紀選手を運良く出会うことができ、ツーショットを撮らせてもらいました。彼女は欧米の選手にくらべてちいさくて、そしてとても可愛かったです。
会場では一番前の列で第2コーナー側の席で観戦でした。B席だったのに非常においしいところでした。堀井選手、武田選手、羽石選手、清水選手、みんな目の前でみることができました。写真を撮るのは非常に難しく(すべっていると速くて追い付かない)、とった写真はどれもダメでした。試合前のウォーミングアップで、集中して滑っている選手を見て、こちらも緊張してしまいました。目の前には選手だけでなく、日本からの報道陣が大勢いて、ミーハーな僕は女性キャスターのみなさんを中心にシャッターを切っていました。と、ひとり目っちゃ可愛い体育会系のジャージを着た日本人の女性が荻原次晴さんと並んで談笑しています。まわりのみんなと、あの人誰?キャスターではないよね、などと話していたのですが、とりあえず写真とっとこうということで、何枚か写真を撮ったのです。そしたら、あとで彼女は大菅小百合選手であることが分かりました。いやあ、怒られるのを承知で書きますが、それはもう、めちゃくちゃかわいかったです。その辺のアイドルなんか目じゃなかったっす(笑)。試合は非常に惜しかったです。ほとんど同じタイムでしたから、ゴールの瞬間いけた!と思いましたよ。清水選手は悔しそうでした。周りはUSAコールでうるさくって、こっちも悔しかったです。日本人も別の場所に大きく固まっていたみたいですが、会場に鳴り響くUSAコールと、その次に多かったオランダ人たちの大声援、ウォーザースプーンの国カナダの応援団には負けてしまいました。いやあしかし本当に惜しかったです。日本のサイトを見るとCaseyの1本目はフライングっぽかったみたいですね。この変のことは次回書いてみたいと思います。清水選手本人は悔しいだろうけど、腰痛の中ここまでもってきた彼の強い心には本当に尊敬します。今はゆっくり休んでほしいですね。

観戦その4:純ジャンプラージヒル(2月13日)
 この日はジャンプのLH個人戦に行ってきました。日本人の友人2人とポーランド人の友人1人のあわせて4人で観戦に行きました。この日は目玉競技と言うこともあり、ものすごい人の数でした。複合の時よりもさらにたくさんの観衆で埋まっていました。アメリカ人の活躍が期待できない種目なのにこんなにたくさん入ってびっくりです。4人で行きましたが、僕以外はスタンド席だったので、僕だけ立ち見で一人で応援しました。今回は周りの人たちは静かに観戦するタイプの人たちだったので、前の時とは少し感じが違い、それもまた良かったです。試合は日本人にとっては非常に残念な結果でした。特に、風に恵まれなかった葛西選手は本当に残念でした。個人的には怪我をしてしまった宮平選手を応援していましたがだめでした。彼の99年2月の世界選手権でのジャンプはとても美しく、今回も大変期待していたのですが、平凡なジャンプで終わってしまいました。原田選手や船木選手はこちらでも名前が売れているので、彼等のジャンプの時には声援が少しだけ大きくなっていました。日本人も結構いたはずなのですが、ばらけていたのか、全然目立ちませんでした。逆にスイスやポーランドの応援団はとっても目立っていました。あとで知ったのですが、ワレサ議長も観戦に来ていたのでした。日本人がダメと分かった段階で、友人の応援しているポーランドのマリシュ選手を応援していたのですが、スイスのアマン選手は神がかったジャンプでこれではさすがのマリシュ選手や、絶好調だったドイツのハンナバルト選手でも勝てないと思いましたよ。マリシュ選手は結局銀で、僕のポーランド人の友達も納得していました。ということで残念な結果でひときわ僕自身も疲れて帰ってきましたがボランティアの人たちの想像を絶する努力には本当に頭が下がる思いでした。

観戦その5:メダルセレモニー(2月18日)
 この日はメダルセレモニーに行ってきました。本来無料なのですが、チケット数が制限されていて、すでに全部さばけてしまっていたために、チケット業者から50ドルで買うはめになりました。18日はジャンプ団体戦のメダルセレモニーだったので、もしかして日本が・・・と思って購入したのですが残念ながらそれはかないませんでした。
ダウンタウンはものすごい人でごった返し、通りにはダフ屋が通りを歩く人に「Anybody needs tickets?」と声をかけています。あやしげな人が多いので、僕はチケット業者の店へ入ったのですが、そこもなんとなくうさん臭いところでした。クロージングセレモニーのチケットが800ドルのところを200ドルで売られていて、妙な感じでした。
チケットを購入し、通りに戻ると、今度はアンチモルモンの人たちが、モルモンを批判するビラを配っていました。他にも宗教の勧誘をしている人が結構いてびっくり。ビールを飲みながらコンサートを聴けるイベント会場に行くと、そこはあまり人が入っていなかったです。あと、USAとCANADAチームのユニフォームをデザインしたROOTSというお店が大人気で、カナダ系を売るMain streetのお店も、USA系を売るGATEWAYのお店も、ものすごく長い列ができていました。
そんな中、メダルプラザへと歩いて行きました。 この日は雨が降ったことでもわかるように、それほど寒くもなく快適でした。デルタセンター(オリンピック期間中はアイスセンター)の目の前にメダルプラザが作られていて(ここはもともと駐車場)、セキュリティーチェックを抜けると、広々とした空間が待っていて、スタンドまでの間にお店があったり、ステージがあったりしました。大画面では、その日ライブでやっていたアイスダンスのフリーの演技の模様を流していました。なかなか面白かったですよ。僕は立ち見の席だったのですが、会場の入り口でスタンド席と交換してほしいと言う女性が現われて、その人とチケットを交換してスタンドに座りました。ちょっとステージからは遠かったけれど、見やすくできていてまあ満足。7時からのスタートで、最初はNFLのヒーローだったスティーブ・ヤングとコメディエンヌのキャロラインが出てきて、ゲームやトークで盛り上げます。どんなゲームかと言うと、巨大なボール(閉会式で出てきたようなもの)が立ち見席に現われて、それをゾーンごとにわけてバックステージ側からステージまでお客さんの手を使って転がして行くというやつです。となりのゾーンに入ってしまうと、反対方向へ飛ばされてしまうのでなかなか面白かったです。そして、8時前になり、セレモニーが始まりました。幕開けはダンシングチームによる演技で、それがまたすごかった。それが終わってから、メダルに輝いた選手たちが、種目ごとに登場してきます。そして国歌を流しながら、国旗を掲揚します。この時は全員起立。この日はドイツが3つの金メダルで、後ろの方にいたドイツの大応援団がとっても盛り上がっていました。また女子エアリアルのオージーの金メダルもとってもよかったです。涙流していて、かわいかったです。でも、会場が一番盛り上がったのはやっぱり女子1000mで優勝したChris Wittyが出てきた時ですね。USAコールが会場に鳴り響いていました。面白かったのは、カナダが銀で出てきた時、後ろの方にいたカナダ人の集団が、USAコールをまねして、CANADA! CANADA!とやっていたのですが、近くにいたアメリカ人がぼそっと、「やっぱコールはUSAの方がかっこいいよな」。日本人の姿は全く見えず、君が代も日の丸も見られないのでやっぱり寂しかったですね。セレモニーが終わると、コンサートが始まります。数々の大スターが登場するこのコンサートシリーズ、この日はNelly Furtadoというカナダの若い女性ポップシンガーのコンサートでした。グラミー賞に2回ノミネートされたらしいのですが、僕には全く理解できない音楽だったので、途中で抜けてきちゃいました。このコンサートシリーズでは、カナダからのバンドが何組か出ていて、とくにBarenaked ladiesの時には笑いました。例のfigureのカナダペアがステージに登場して、演奏にJamieがトライしたり、女子500mでカナダのルメイ・ドーンが金を取った晩でもあったので、ボーカルのおっちゃんが、女子のスケートスーツを着て登場して大爆笑でした。めっちゃきちゃなかかったです。その模様を、ちょうどインタビュールームに来て晴れのインタビューを受けていたドーンさんに見せていて、彼女の抜群のプロポーションの写真のとなりにおっさんの写真をインポーズしていて、凄かったです。インタビュアーもうまくて、あのスーツ、ドーンさんからのギフトじゃないですよねぇ?なんて聞いていて、彼女からAbsolutely notとお叱りを受けていました。

観戦その6:ノルディック複合スプリント後半(2月22日)
 最後の観戦はノルディック複合スプリント後半クロスカントリーでした。個人戦の時とは異なり、非常に暖かくまた観客もたくさんいました。Utahの小学生らしい集団があちこちに見られました。前回は日本人と交わることがなかったのですが、今回はせっかくなので日本人の人たちと一緒に応援しました。こわげな格好をしている人たちを避けて、可愛い女の子が近くのスロープに来たので、ここぞとばかり、仲間に入れてもらいました(笑)。なんとその子たちは、メダル獲得を期待された、高橋選手のお姉さんを含む集団でした。めちゃラッキー。彼女らが練習中の高橋選手に話しているところをよこから見ちゃいました。このお姉さんはWisconsinの大学にいるそうです。試合の直前に、松岡修造さんと長島一茂さんが近くを走って行きました。カメラを持った人たちを後ろに従えて、ばたばた走ってくるようなことしてるのは日本のクルーだけなんで、何だかちょい恥ずかしかったっす。試合は予想通りフィンランドのラユネンの優勝、高橋選手は堂々の6位でした。思ったより順位が落ちなかったです。僕の尊敬するアスリートである荻原健司さんは33位でした。試合後に選手と話せるかなと思いましたが、それも結局かないませんでした。その日の帰り道は、もうこれで終わりかと思うと少し寂しかったですね。

クロージングセレモニー
 クロージングセレモニーは家でTVで見ました。本当に何ごともなく終わってほっとしています。恐れていたテロは結局なく、軍と警察による厳しい監視が功を奏したようです。長野の時のclosing ceremonyはシンプルで、最後の「WAになって踊ろう」でみんなが踊っていたシーンがとても心に残っていますが、こちらはさすがにエンターテインメントの本場で、たくさんの過去のメダリストや超有名な歌手やグループが次々と登場して盛り上げました。本当に凄かったです。締めくくりはUtahでも最大規模の花火でした。Salt LakeにMormonの人たちがやって来たことを祝うPioneer dayが7月にあり、その時の花火大会はUtahでもっとも大きなものなのですが、それにくらべても負けないくらいの規模でした。僕の家からも十分見えて楽しめました。Wasatchの峡谷全体を花火会場に見立てて、バレーのあちこちから打ち上げたのだそうです。直後のローカルニュースによると、この花火を実際に手伝ったりコンサルトしているのは、やっぱり日本の花火師たちでした。花火が終わり、すべてが終わって、なんだか非常に寂しさを感じました。かつて夏の学校を主催し、すべて無事に終わった時のような気分でした。

 今回のオリンピックはアメリカの過去最高の大躍進、日本はメダル2個に終わり明暗をわけましたが、Salt Lakeに住むものとしては、Judgingの問題を抜きにすれば、Salt Lakeのネガティブなイメージを拭うに十分がんばれたのではないかと思います。なんといっても、Salt LakeはMormonの本拠地と言うことで有名であり、USAの中でも保守的で変わっているとされていますから。ボランティアの人たちも凄く良く頑張ったし、みんながfriendlyでアトランタの時にあったような、街での騒ぎもなく、心配は杞憂に終わりました。オリンピック後の街がどうなるのか心配ではありますが、今は無事終了の余韻を楽しみたいところですね。

次回は今回僕が受けたカルチャーショックについてまとめてみたいと思います。

オリンピック写真集
 

聖火リレー

複合個人戦ジャンプ会場へ

複合個人戦クロスカントリー会場1

力走するラユネン選手とアッカーマン選手

   


複合会場にて:ボランティアの女性

試合前の清水選手

オリンピックオーバル

ダウンタウンの様子

   


ROOTSの前の長い列

セレモニーでのWitty選手

ライス/エクルス・スタジアム

純ジャンプLHのあとで:友人と

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