カルチャーショック


 みなさんこんにちは。木曜日からパラリンピックが始まり、街には車椅子をのせることのできる大型バスがたくさん走っています。大学の厚生センターであるUnionにも、パラリンピックの選手を歓迎するボードや旗が並んでいます。車椅子の選手たちを見かける機会も増えました。パラリンピックはテレビの放送はありませんが、新聞では大きく取り扱っています。規模こそ大きくないですが、静かに、でも熱く、競技が行われているようです。

さて、今回はオリンピック関係の話題の後半、僕の感じたことを書いてみたいと思います。一言で言うと、「カルチャーショック」です。

アスリートの英語力、表現力
カルチャーショックの一つ目は、アメリカ以外の選手たちが、英語でインタビューに答えていたことです。
世界でコミュニケーションを取るには、やっぱり英語なのだと実感しました。驚くのは、彼等の英語が非常に流暢であること。初日の女子モーグルで優勝したのはノルウェーのTraa選手でした。里谷選手が銅だったので見ていた方も多かったことでしょう。銀がUSのShannon Bahrke選手で、彼女は実はUniversity of Utahの学生さんです。さて、このTraa選手が試合後アメリカのテレビ局NBCのレポーターのインタビューを受けていたのですが、いきなり頭を殴られたような感じでした。まるで英語を母国語にしているかのような、くせのない発音で、Shannonと英語でくらべても全く見劣りしません。NBCのレポーターもかなりの早口で質問を振っていました。また彼女の受け答えのしっかりしていること。王者の貫禄なのでしょうかね。大喜びしているShannonは確かに可愛くて魅力的だし、アメリカ最初のメダリストと言うことでこの日から数日Shannonはメディアに引っ張りだこでしたが、僕にはTraa選手の印象の方が強く残りました。
大会2日目にはジャンプノーマルヒルで、スイスのアマン選手が優勝しました。彼のインタビューもまた印象的でした。Traa選手にくらべると多少のアクセントは否めませんが、インタビューに自分の喜びの素直な気持ちを簡単な英語でぶつけていて、彼の嬉しさが僕にも十二分に伝わってきたのでした。他にも、フィギアスケート男子のヤグーディン選手(まあ彼はアメリカで練習しているので流暢なのは分かりますが)、女子のスルツカヤ選手、ノルディック複合で完全王者になったフィンランドのラユネン選手など、しっかり英語で自分の気持ちを表現しているところが非常に僕の心に残りました。ちなみに、IOCの新しい会長さんはベルギーの出身だそうです。彼は例のフィギアの事件のあとから、何度もNBCの番組に登場して、キャスターから厳しく問いつめられていましたが、実に堂々とした態度で、アクセントにくせはあるものの、しっかりとはっきりと分かりやすい英語で反論していました。かなり非難されていた彼ですが、リーダーとしての彼は評価できるのではないかと思いました。僕はこの4月で滞在3年を迎えます。かなりマシになってきたとは言え、自分の英語力にはへこむことの方が多いです。大舞台で自分の力を出し、その直後の気が動転しているであろう時に行われるインタビューで、しっかり英語をはなせる選手たちには脱帽でした。NBCのインタビュアーの質問はさすがに僕でもわかりますが、気持ちを簡潔に答えられるかと言われると、?となります。選手たちを見ていて、悔しさとみじめさ、そして頑張るぞと言う気持ちが複雑に混じりあったのでした。

ところで、今回活躍できなかったこともあり、残念ながら日本選手の談話はテレビでは一切流してもらえませんでした。そこで、日本のサイトをチェックしてみると、インタビューに対する答えに重みを感じるものが残念ながら少なかったです。若い人には若い人なりの、力を出せなかった人にはそれなりの表現の仕方があると思うのですが、淡々としすぎているものや、いかにもマスコミ向けの型通りの答えなど、「その人」が見えてこないなぁと思いました。やっぱり字だけでは難しいですね。その中でも、僕の尊敬する荻原健司選手のインタビューには、背負ってきたものや彼の苦悩、悔しさがストレートに感じられ、力を出せない現状への分析も素人に納得させるものがありました。自分に対して厳しい荻原選手からは、オーラのようなものを感じました。結果は惨敗に終わりましたが、彼にはぼろくそに言えません。素直に彼のことをねぎらいたいと言う気持ちにさせます。同じ複合のホープ高橋選手のインタビューには、まあ若いだけあって?のつくコメントもありましたが、骨のあるコメントやしっかりした意志が感じられました。あとで聞いた話ですが、映画の字幕作成の第一人者である戸田奈津子さんが、日本選手のオリンピックでの受け答えがもう少しよくならないか、そのためには英語力をつけることも大事だが、気持ちをしっかり口にできる国語力も問題なのではないか、と発言なさったのだそうですね。それには、うなづくものがあります。上には英語ではなせる選手がcoolであると書きましたが、英語を苦手とするならばせめて自国語で、自分の言葉で意見を述べられるように日本の選手のみなさんにも頑張ってほしいなと思いました。それは自分にもあてはまることなので、肝に命じて訓練を続けて行かなければならないと思いました。

温度差
アメリカにいると実に多種多様な人種に囲まれます。そして、同じアメリカ人でも個人個人は大きく異なるのです。今回は特にそれを感じました。4年前、日本中が長野で行われているオリンピックに夢中になりました。アメリカではどうなのか。実は我がSLCでも、オリンピックに全く関心のない人が結構いたのです。周りでもTVすら見ていない人が意外といました。オリンピックの喧噪から逃れるためにその2週間をバケーションにして完全に街から離れた人たちもかなりの数に登ります。会場でも、アメリカの選手が登場すると大歓声なのですが、実は彼(彼女)がどんな選手なのか、名前すら知らないと言う人が多かったのには驚きました。ノルディック複合の試合を見に行った時、アメリカのTodd Lodwick選手はメダルの可能性が高い期待される選手だったのですが、周りで応援してるアメリカ人は、「Who is the best guy in US?」と言う問いに、「Well, I have heard it before, but I don't exactly remember, I think he is Todd... something」等と言ってました。家に帰り独占放送をしているNBC以外のチャンネルにまわすと、さすがにローカルニュースではわが町SLCのオリンピックの様子を中継していますが、それ以外ではいつもと全く一緒でまるでオリンピックなどないかのような放送です。NBCの人気トークショーのTonight showを見ていても、ゲストとのトークで、ホストのJayがその日のゲストにオリンピックを見ているか?と聞くと、殆んどのゲストが、「ちょっと」と答えているのです。あまり関心がないようなのでした。極め付けは、ABCの議論系ショーのPollitically incorrectでホストをしているBill Maherが出てきたときのこと。例によってJayが「オリンピックを見ているか?」と聞くと、「なんだよこの冬のスポーツは! スケルトンだかボブスレーだかなんだかしらないが、あんなの重力で滑り降りてくるだけで、ちっともスポーツじゃないじゃないか。」と、そり系の競技をぼろくそにけなすのです。ちなみに、その日の前後で、アメリカはスケルトン男女で金、ボブスレー女子で金とすばらしい成績を出してNBCも金メダリストをどんどんテレビにだしていたのに、です。さすがはアメリカ、自由に発言させる国だなぁと、妙に感心してしまいました。ショーはカリフォルニアで撮影されているので、現地でないこともあるのでしょうが、日本でも話題になっている「キム・ドンソンに犬肉を交えたジョーク」で韓国から総スカンを食らっているJayもさすがにフォローできなくて、巧みに話題を変えていました。このように、アメリカ人の中には全くオリンピックに関心のない人も以外と多いのです。2週間もFriendsが見られないとは何ごとだ、とyahooのdiscussion boardに投稿している人もいましたよ。
また、会場にいって感じたのは、チケットの値段の問題もあるのでしょうが、観客のほぼすべてが白人で、オリンピックのアナウンスも、まずフランス語があって、次に英語なのです。そう、Utahの住民の割合でwhiteの次に多いのがヒスパニック系であるのに、彼等は会場では全く見かけられず、アナウンスもスペイン語では行われないのでした。彼等は冬の競技にはあまり関心がなく、また選手にもヒスパニック系がわずかしかいないことが響いているのだとは思いましたが、それにしてもここまで観客の差があるのにはびっくりしました。でも、ダウンタウンのイベント会場では、African Americanやヒスパニック系の人たちを多く見かけましたので、競技そのものになじみがないだけなのかもしれません。

フィギアスケート狂想曲
今回の五輪はペアでの審判の話題無しには語れませんね。上でも話したように、あまりオリンピックに関心がないと言う人が多い中、これだけは誰もが知っていました。かく言う僕もリアルタイムでTV中継を見ていました。僕は長野の頃から知っているロシアのペアを応援していたので、多少肩入れしている部分はあるかもしれないことをまず宣言した上で、進んでみましょう。
初日のSPは僕は素直にロシアペアの演技が良いと思いました。長野の前にスケートの刃が頭に刺さって死にかけて、一時は言語障害や体が麻痺することもあった、そんなところから見事に復活してきたエレーナ、彼女をしっかり支えるアントン、その二人のくり出す「first kiss」をテーマにした演技は、それは美しく、息もぴったり合い、一つ一つの動きやはかなげな顔の表情がもうたまらん、と言う感じなのでした。感激して涙が出そうでした。もともと好みのタイプであるエレーナが、まるで天使のように見えたものです。一番かわいらしかったのは、二人で小走りに氷の上を駆けるところでした。この演技を見て、シングルよりもずっと面白いと思いました。男性と女性がペアになり、お互いを思い遣り呼吸をあわせ、完璧に一つのものをつくり出そうとする姿は、結婚をそろそろ真剣に考えなければならない年ごろの僕には、だからなのか本当にすばらしく、感激も他の人より大きかったのかもしれません。
ロシアペアから数組あとに、カナダのジェイミーとデイヴィットの組が出てきました。僕には予備知識がない彼等なのですが、NBCのコメンテーターの二人が、エンターテイメントも芸術性も両方兼ね備えたすばらしいペアというので、どんな演技をするのだろうと思い期待しながら見ていました。そしてその感想は・・・ 安心してみられる優れたテクニックをもち、リラックスしてラブストーリーを完璧に演じ切るすばらしい組でした。でも、最後で転んでしまったのに笑っていたり、どうも逆に緊張感がないような気がしました。

そうして問題の月曜日のFP。ロシアペア、カナダペアの前の組で滑った、アメリカのイナ・ジマーマン組が独創性に富む他の人がやらない見たことのない技やミスのない演技で大喝采を浴びていました。同じ日本人の伊奈さんのすばらしい演技に心から拍手を贈りました。このジマーマンが本当に男前で、自分が女性だったら萌えるだろうなぁと思いました。そしてコマーシャルが入り、最終組のウォーミングアップが行われたようでした。CMのあと、カナダのジェイミーが、ロシアのアントンにぶつかる事故があったと、報道されましたが、その様子はビデオでは流されなかったように思います(今となっては覚えていない)。先にロシアのペアが出てきました。エレーナの眩しいばかりの衣装には萌え萌えになってしまいました。しかし、二人ともかなり緊張しているのがはっきり分かります。こちらも緊張しながら演技を見ました。出だしを無難に終えたあと、あとで大騒動のもとになるアントンのミス、でもその後はほとんど素人の僕に分かるミスはなく、白鳥が舞うかのように華麗な演技を見せてくれました。しかし、緊張のせいかどこか非常に堅かった気がしました。演技の後のエレーナの表情はやや曇っているようでしたし、彼等は自分の本当の力を出し切れなかったのだろうなと思いました。テレビでもコメンテーターが二人ともかなり厳しい見方をしていました。そしてカナダペアの登場。ジェイミーはロシアペアの演技が完璧でなかったことを知っていたようで、その顔には自信で溢れているように見えました。そして演技は完璧でノーミス。スケーティングもとても綺麗で、一つ一つの技の切れ味もロシアより上であるように見えました。顔の表情もラブストーリーをまるでハリウッドの俳優のようにすっかり役に入り込んでいて、見ている僕も引き込まれました。ロシアのSPと同じくらいすばらしい演技だったと思いました。そしてTVも、会場も、僕自身も、これはカナダの勝ちだろうと思って採点を見ていました。ところが・・・わずかにロシアが上回りカナダペアはその時点で2位。ええーっ、てびっくりしたのは本当です。TVではこんな採点があっていいのだろうか、明らかにおかしいではないか、私もこの競技を愛してやってきたけれどこの採点を見てembarrassedだ、と、憤るコメントが出てきます。鳴り止まないブーイングの中、中国のペアが最終組で演技をはじめました。少し可哀想な舞台だったかもしれません。彼等は見せ場の大きなスローを失敗し、3位に終わりました。メダルセレモニーは少し可哀想でした。心から自分達の勝利を喜べていないように見えるロシアのペア、涙を隠さないカナダのジェイミー、何度も判定に対する不満を口にするコメンテーター、カナダペアに容赦なくカメラを向ける報道陣。これがオリンピックなのだから、一度決まった勝負なのだから仕方ないんだろうなぁと、セレモニーを見ていました。銀メダルをほこりに思うと涙ながらに語るカナダペアを見て、辛いだろうが仕方ないなと思っていたのです。

ところが・・・
なんだかおかしいぞ、と思いはじめたのは次の日のニュースからです。カナダ側から判定に不服とする抗議が出されたとの報道の後、例の不正疑惑が出てきたのです。試合の晩は、スノーボードでアメリカが金銀銅独占したこと、男子500mでフィッツランドルフ選手が1回目1位、ウォザースプーン選手が転んでしまったことなど、大きなニュースがあり、さすがに報道は少なかった気がします。翌日の朝刊の一面は、スノボのメダルセレモニーでしたし、ペアの記事はControversial winと書くに留まっていました。コメントも残念だ、がっかりしている、というカナダ側の談話が載っている程度で、まだまだ客観的だったと思います。カナダの振り付けを担当した人が、ジェイミーとデイヴィッドはものすごくハードな練習をこなして、これ以上ない演技を本番で披露したんだ、なぜこんな結果になったのか、納得させてほしい、と話していて、気持ち分かるなぁ、なんて思っていたのです。それが、次の火曜日の朝、採点に不正があったとの内部告発があったと言う報道があり、そこからがぜんテレビやマスメディアは盛り上がってきました。「不正」が告発されなければ、ここまで大きな問題にはならなかったでしょう。それが、不正があったというネタが明らかになった瞬間、そこにピラニアのように皆が喰いついていったような感じでした。不正は悪だ、徹底的に追求しなければならない、そんな風潮が出てきたのです。その時は気付きませんでしたが、後で思えば、裁判ではっきり白黒決着をつけるアメリカの体質がわかりやすく出てきたのでした。「不正」という錦の御旗があるので、メディアもがぜん頑張り出します。視聴者にも分かりやすく、カナダは善だということを強調する報道になっていったように僕には見えました。ほとんど毎日カナダのペアがテレビに露出し、コメントを出していました。トーク番組にも出演、メダルセレモニーではBarenaked ladiesと共演したり、彼等は可哀想なのだから、慰めてあげなければならない、というメッセージがこもっているかのように見える報道。少し穿った見方で申し訳ないですが、そこまでカナダペアはテレビに出る必要があったのだろうか、と今でも思います。演技は非常に良かったのだから、金に限り無く近い銀でいいではないか、自分でも銀メダルを誇りに思うと言っていたではないか、と日本人的な発想で思っていました。でも、後から考えると、彼等はメディアの前で、堂々と立派に自分の意見を言っていたし、ひとこともロシアペアを悪く言うことはなかった。金メダルが欲しいとは一言も言っていなかった。担ぎ上げられてメディアにさらされた被害者なのではないかと、思うようになりました。そう、実に堂々と、自分の気持ちや意見を話していました。精神的に本当に強い、タフな人たちだと思いましたよ。最初はせっかくのすばらしい演技が彼等の態度で台無しだ、と思ったものですが、今こうして振り返ると、評価できるし見習わなければならないことはたくさんあるとすら思うのです。ジェイミーはエドモントン出身ですから英語が母国語でしょうが、デイヴィッドはモントリオール出身なのでフランス語が第一言語なのです。それでも彼はしっかり英語で受け答えしていました。確かに、ジェイミーの方ばかりにスポットが当たり、彼女がまず記者会見でも答えていたので、強い女性のイメージがあるかもしれませんが、デイヴィッドもしっかりしていたと思うのです。

落ち着いてから考えれば、上に書いたような気持ちになるのですが、当時はカナダのことばかりとりあげて、ロシアからのコメントをほとんど流さないことから、どうしても不公平な感じがしてなりませんでした。そのことアメリカ人の知り合いに言うと、彼は、「ロシアは金メダルをもらったんだからそれでいいじゃないか。何も抗議することなんてないし。それに、何十年も同じ国が勝つのはやっぱりおかしいよ。他の国に全く勝つチャンスがないような感じがするよ」というのです。なるほど、そう言う考え方もあるのかと、感心しました。僕ら日本人だと、「沈黙は金なり」という考えが根強くて、一度決まったことには黙って従うのが美であると考えますよね。前回のシドニーオリンピックの柔道のときのように、篠原選手の潔さに意気を感じた人も多かったことでしょう。しかし、アメリカでは、ルールには従うけれど、そのルールに反している場合は徹底的に戦うのが彼等のやり方なのです。ルールに沿う範囲内であれば、少々のことは気にはしないのでしょう。

それにしても、テレビの報道の強さは9/11の時から感じていましたが、有名雑誌の影響もかなり大きいような気がします。NewsweekとTimeの2大ニュース雑誌は、金メダル受賞後のカナダのペアを表紙に持ってきました。アメリカでは、この雑誌の表紙を飾るのはものすごく名誉なことなのです。そして特集記事では、ビデオのコマ送り画像を使って、カナダペアとロシアペアの演技をくらべていました。もちろん、ロシアペアがミスをしているシーンが中心です。'Two Ways to win the gold'(Newsweek), 'The videotape never lies'(Times) と、意地悪なタイトルもつけられていました。こんな大きなミスをしているのに、なぜカナダが金をとれなかったのか?という問いかけであることは明らかに思えてしまいます。実際の演技を見ていない人からみれば、ロシアが圧倒的に不利に見えてしまいます。これは残酷だと思いました。ロシアペアはせっかく金だったのに、自分達のミスシーンを何度も繰り替えし見せられるわけですから。それにこの画像だけでは、全体の演技の流れや、音楽にどれだけあわせていたか、細かな手の動き、などという、審判の判断材料になる表現力は見えてきません。雑誌だから仕方がないですけれど、これは少々残酷な気がしました。

ロシアのエレーナは非常に繊細で壊れやすい心の持ち主だと、TVで元カナダ代表のサンドラが話していたので、果たしてこの騒動で彼女らは大丈夫なのだろうかと心配していたのですが、カナダペアと一緒にメダルセレモニーに現れた時には、ロシアの二人ともスッキリした表情だったのでほっとしました。NBCのインタビューのときも、きちんと英語で「みんながhappyだから、私もhappyです」とエレーナが満面の笑顔で答えていて、これで良かったのかなと思いました。そして、エキシビジョンの日がやってきました。うれしいことに、両方のペア共に出場でした。カナダのペアはエキシビジョンらしく楽しい遊び心の入った演技で会場を盛り上げていました。やっぱり安心してみていられる確かな技術、観客を盛り上げる誰もが見て楽しい演技で、カナダペアの良さが良く現れていたと思います。ところが、これはまだ甘かった! 後で出てきたロシアペアのチャップリン「キッズ」を見た時の衝撃は今も心に大きく残っています。いつもはかな気で寂し気な曲をバックに演技する彼等が、コミカルな面を見せるかと思えば、子供のような笑顔やしぐさもたっぷり見せてくれました。一つ一つの技の流れが非常にスムーズで、スローもきれいに決まりました。そして演技終了直後にカメラに映ったエレーナの涙。こちらまでほろりとさせてくれました。リラックスしてエキシビジョンを楽しんだカナダ、自分達も金メダルにふさわしいことを証明するエクセレントな演技を見せたロシア、どちらもすばらしかった。最後にふた組で魅せたダブルデススパイラルは一生人々の心に残ることでしょう。総括として一素人が何回か彼等の演技を見て思ったことをまとめると、ジェイミーがコンパクトで小さくてコマのように身軽に回るのに対し、エレーナは少しぽっちゃりしていて動きが少し遅く、でもその分優雅に見えるような気がしました。エレーナの方が手や足が長く、スピンなどはジェイミーより大きく見えるのです。ジェイミーは女子シングルのサーシャ・コーエンのようなタイプに見えました。ペアとしてみると、カナダがハリウッドの映画やブロードウェイのミュージカルをイメージさせ、ロシアはバレエをイメージさせますね。だからこそ、比較も難しかったのだろうと思います。

ジェイミーとデイヴィッドの精神的強さ、見事に人々の心を捕らえる演技を最後に魅せたエレーナとアントン、いつも張り合ってしまう男と女ですが、この二組を見て、お互いを信頼し支えあい二人で一つの演技を作り上げて行くことのすばらしさを教えられた気がします。これから将来結婚し家庭を作って行くであろう身としては、いい勉強になったと思っています。また、アメリカの報道の仕方、それに対する各国の反応の違いを見ていて、文化の違いをどうやって乗り越えて行くのか、考え方の違いをどうやって乗り越えればいいのか、深く考えさせられました。それとアメリカ人の正義感というか、しみついているであろう考え方を改めて痛感しました。まあ、なっちがキャスターをやっている日本の放送にくらべれば、偏っているしぶつ切れのとんでもないオリンピック放送でしたが、まだNBCの方がましなのかもしれませんね。少なくとも、アメリカではブリトニーがスポーツのキャスターをしたり、イン・シンクやエミネムがレポーターになって、サラ、頑張ってー!って会場で騒ぐことはやっぱり考えられませんもんね。

アメリカのためのオリンピック?
開会式でWTCでのテロを象徴する旗が登場したこと、ブッシュが開会宣言したこと、フィギアのエキシビジョンでサラ・ヒューズが締めくくりにテロの犠牲者に捧げるプログラムを行ったこと、数々の判定疑惑、メディアの偏った報道、信じられないくらいのアメリカのメダルラッシュ、会場でキム・ドンソンに浴びせられたブーイング、北米2国以外はとんでもないレベルだった女子のアイスホッケー、何だったか忘れたけれど日本のレストランを訪問して試食したものをカメラの前で思いっきり吐き出した夜のトーク番組のレポーター、など、え、なんで?と首をかしげることも数々ありましたが、それがよくも悪くも今のアメリカを反映していたような気がします。最初WTCのことを持ち出しても、まあアメリカでの開催なんだからしょうがないかなと思いましたが、やっぱり終わりで見たサラの演技ではやりすぎだよ、とお腹いっぱいでした。このことに関してアメリカではどんな議論が起っているのかyahooのdiscussion boardに行ってみると、そこで出ていた意見には、「WTCの旗を掲げない開会式を行った場合には、オリンピックのすべてを否定する」という過激なものから、「WTCの旗をかかげるのは意味がある。あそこでは世界のあらゆる国からの滞在者が犠牲になっている。世界を一つにする平和のイベントであるオリンピックにぴったりではないか」というものまでいろいろありました。結構肯定派が多かったです。世界各国の対米感情を考えたら、WTCの旗をかかげるのはよくないと思っていたので、彼等の言い分を聞いてなるほどそう思っているわけねと、少し分かった気がしました。しかし、アフガニスタンの一般市民を巻き込み戦争を行ったことに対して、特に最近米兵が多数死んだこともあり、やむを得ない闘いであるとする人が殆どである事実を重く受け止めなければならない気がしました。また、フィギアのジャッジ問題では、多くのアメリカ人やカナダ人がyahooのdiscussion boardで議論を戦わせていたのに対し、ショートトラックの判定問題では、多くの韓国人の書き込みに対し少数のアメリカ人が書いていると言う印象がありました。それにしても日本では寺尾選手の失格問題にかなり腹を立てている人が多かったのに、英語サイトに乗り込んでくる日本人が殆どいないのに対し、韓国人は下手な英語であることを気にせずに怒濤のごとくスレッドを立て書き込んでいたので、これも国民性の違いなのだろうか、と妙に感心してしまいました。ただ、なんだかあまり相手にされていなかったような気もしています(感情論が多かった)。やっぱりアジア人に対する関心と言うのはまだ低いのかもしれません。

見ていてもう一つ気付いたのは、報道の流れが大きく変わっていったことです。オリンピックの序盤に大活躍したスノボの人たちが脚光を浴びたのはわずか1日ほど。500mの王者フィッツランドルフ選手もどういうわけか、オリンピック後半になると全くと言っていいほどメディアに取り上げてもらえませんでした。まあ、フィギアの不正疑惑と言う大きな話題があったからとも言えますが。厳しいと思ったのは、メダル候補だったノルディック複合のロドウィック選手および複合競技そのものの取扱いです。初日はメダル候補と言うこともあって、かなりの露出だったのですが、ジャンプで上位に食い込めなかった後は、全く取り上げてすらもらえませんでした。後半クロスカントリーは放送されなかったと記憶しています。団体戦とスプリントも全くテレビで放送された記憶がありません。ダメだとなったとたんばっさりと切り捨てられるところは非常に厳しいです。そして、オリンピック後半になると、有色人種のメダリスト、女性のメダリストが続々と登場してきました。メディアは彼等彼女らを大々的に放送しました。1500mで優勝したパーラ選手はメキシカンアメリカン、ボブスレー女子で優勝したフラワー選手はアフリカンアメリカンでした。とくにフラワー選手は冬期五輪初のアフリカンアメリカン金メダリストということで、あちこちから取材がおこなわれました。いろんな肌の色の選手が活躍したことを放送して、アメリカの国民がunitedしていること、whiteだけでなく、他の有色人種もアメリカ人として世界で闘い結果を残しているんだというメッセージを流しているように思えました。そう思えば、9/11ですっかり傷付いたアメリカがこのオリンピックで国の力を発揮し、自信を取り戻すといシナリオは非常にうまく機能したと言えますね。確かに、日本で放送を見ていればそのように見えるのはしかたないと思いますし、今回日本の友人から何度もきかされた「最低の五輪」といいたくなる気持ちも分からないではないです。でも、僕には「最低の五輪」であったとは思えないのです。それは現地にいるからかもしれません。たくさんのボランティアに支えられ、大きな事故・事件もなく実にスムーズに運営されたこと、観戦に来て出会った何人かの日本人が「とてもフレンドリーで、安全でとても気持ちよく過ごせました」と話してくれたこと、会期中に大学内の選手村に滞在していた選手からはソフト面で不満は出ることもなく、みなが気持ちよく滞在していたこと。他にもUtahのローカルニュースや新聞で多数報道されていたように(実は街に関する報道の方も結構多かった)、運営そのものは極めて良好に進んで行ったと思います。そして何より、Utahに住んでいる人たちは、オリンピックと言う一大イベントをこの小さな街で成し遂げたことを何より誇りに思っています。そういうことも、少し心のどこかにしまっておいてほしいなと思います。実は、このレポートを書く時に一番言いたかったのは、このことなんですよ。ソルトレークの街の人たちは、胸を張ってオリンピックを終えたのだと言うことを。

最後に
アメリカに住んでもう3年。もうかなりのことを知っているつもりでいました。でも、まだまだアメリカは深い。その恐いところ、したたかなところを、今回学んだ気がします。そして、やはり世界で通用するためには、英語ができないと苦しいと言うことも改めて感じました。

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