New York旅行


 みなさんこんにちは。日本のゴールデンウィークの期間に、New York Cityへ遊びに行って来ました。今回はその話です。

初日:New Yorkは意外と安全だった
 僕の大切な友人であり、Yale Univで働いているHさんが、この度イギリスに移ることになり、もうアメリカで会うのは最後ということ、ちょうど共通の知り合いのMさんが日本からアメリカに休暇で来ることになっていたこと、後輩のAさんがNew York Cityでポスドクをしていること、などから、5/4.5.6の3日間New Yorkへ行って来ました。学会も何もなく単純に遊びに行ったので、知り合いには「”遊び”でいくなんてうらやましい」と言われてしまいました。
 さて、Hさんがヤンキースvsマリナーズのチケットを取ってくれたので、日曜日にその試合を見て、土曜日はAさんとニューヨーク・フィルハーモニックのコンサート、月曜日はみんな働くので自分であちこち市内を観光することになりました。New Yorkには飛行場が3つあり、国際線が主体のJFKと、国内線が主体のLa Guardia、同じく国内線主体でとなりの州のニュージャージーにあるNew Arkの3つです。今回はLa Guardiaを利用することにしました。いつも利用している旅行代理店の人によれば、La Guardiaはマンハッタンにかなり近く便利だそうです。New Arkも同じ程度の距離で、JFKが一番遠くなります。Salt LakeからNew Yorkまでは直行便もありますが、今回はマイルをためるためにわざわざUnitedを使うことにしたので、1回乗り換えで$336.50ということになりました。5/4の早朝5:15に家をでて、long term parking lot Aに車をとめ、6:30発の飛行機に乗りました。相変わらず厳しいチェックを受けます。今回は靴まで脱ぐはめになりました。とは言えオリンピックなどでもうすっかり慣れたもので、特に問題もなくさっさと終えることができました。行きはデンバーで乗り換え、New Yorkへ。この飛行機の中で、Beautiful Mindをまたもや見ることができました。ずっと気になっていた、Jenniferの決め台詞 I need to believe that something extraordinary is possible が今回はちゃんと聞き取れて嬉しかったです。I need you to...か、I need to believe か、ずっと迷っていたのです。
 そして午後2時ちょうどにLa Guardiaに到着。まわりは特に大きなビルもなく何だか少し肩透かしのような気分。今回2泊させてもらうAさんの友人に電話で連絡をして、彼の家へタクシーで行きました。NYのタクシーは恐いと思っていましたが、Salt Lakeや昨年のMontrealとなんら変わりはなかったです。運転手のおじさんに、行き先を言うのですが、どうしてもthの発音がうまく行かずwhat?と聞かれて悲しかったです。ま、それはともかくタクシーに乗り、車は高速を順調に走り、マンハッタンへつながる橋を越えて高層ビルの並ぶ街へ入って行きました。この橋で料金所みたいなところを通りますが、その時は運転手さんが払ってくれます。そしてマンハッタンのど真ん中にある目的地に無事到着。タクシーそのものは特に恐いとは思わなかったけれど、運転は恐かったです。車をおりると、Aさんとその友達のKさんが僕を待っていてくれました。
 眺めてみると、とくにNYだから特別だ、という雰囲気はなかったですね。名古屋で言うと、新栄や千種みたいな雰囲気。街を歩く人たちも至って普通でした。Kさんのお部屋にお邪魔して、自己紹介をかねて少しお話をして、それからセントラルパークの方へ散歩に行きました。不思議なもので、大都会と言う雰囲気がどうしてもしないのです。なんだか名古屋にいるような感じです。3nd Ave?などは、片方がビルで行き止まりになっていたので、まるで名駅へ向かう錦通りの雰囲気です。やっぱりマンハッタンだけ大高層ビルが立ち並んでいるからなのかもしれないです。マンハッタンは細いし、東京よりもなんだかこじんまりとしている感じがしました。セントラルパークはなかなかいいところで、みんなが芝生に座りくつろいでいたり、バレーボールやソフトボール、バスケットボールなどを楽しんでいました。バンドの演奏もあったし、いい天気だったこともあり、犬の散歩に来ている人が多かったです。少し中の方に入ると、まるでSalt Lakeちかくの山みたいにtrailがありました。ジョギングにはいいコースなのでしょう。その後、Aさんの働く大学の近くのカフェでお茶を飲んでから、Aさんのアパートに行きました。East riverのすぐ横に建つ高層ビルの中のお部屋ですが、なかなか素敵でした。ちょっと前のトレンディドラマで、モックンが住んでいそうなお部屋でした。
 その後、Aさんと二人でLincoln CenterにあるNYフィルのコンサート会場へ。少し遠いのでタクシーで行きました。この会場はさすがに歴史を感じる建物でした。二人分で$135.00をすでに電話で予約して払ってあったので、カウンターで名前を言うとチケットをくれました。
 コンサートは厳かで5人の歌手のそれぞれの持ち味が発揮されていました。オペラをこのような形で聴くのは初めてだったので、なかなか不思議な感じでした。面白いことに、お客さんの服装は結構バラバラで、イブニングガウンで気合いの入ったドレスアップをしている女性がいる中で、普段着の人もいたり、いかにも学生という感じのバックパックを肩に引っ掛けてジーンズにTシャツの格好の人もいました。
 コンサートが10時前にはけたので、タクシーを拾おうと通りに出てみますがなかなか捕まりません。タクシーは結構流れていますが、みなお客さんを乗せています。タクシーの車体の上に乗っているランプの番号の書いてある部分が点灯しているものが空車なのですが、どれも点灯していなくて乗れませんでした。仕方がないので、バスで帰ることにしました。バスはメトロカードという地下鉄でも使えるプリペイドカードを使うようです。少し待つとバスが来たので、Aさんが乗る時にカードをリーダーに 2回差し込んでくれて、僕の分まで払ってくれました。「トランスファー」が効くので、確か1回乗り換える分にはお金がかからなかったような記憶があります。Utahでも 仕組みは同じですが、カードのシステムがないので乗る時に運転手さんにトランスファーチケットをもらうことになっています。さて、そのバスですが、夜に乗ったので恐いかなと思いましたが特にそのようなことはなかったです。乗ってくる人も年令がバラバラでお年寄りから10代に見える若者まで、様々でした。繁華街のタイムズスクエアのバス停に近付くと、乗り換えのために降りなければなりません。Utahと違い、窓の上にあるひもを引っ張るのではなく、窓枠の横にあるボードを触るとストップサインが点灯する仕組みになっています。バスを降りるとそこは東京のような大繁華街。ものすごい数の人がたむろっていましたが、こわげなひともいれば普通の人も多く、それほど恐いとは思いませんでした。ただかなり騒がしかったです。ここで東へ向かうバスに乗り換え、5ブロックほど乗って降りたところに、Kさんと待ち合わせていた日本料理店がありました。ビルの地下にある、一見見つかりにくいこのお店、中に入ると日本の小料理屋さんの雰囲気です。殆どが日本人のお客さんなのか、あちらこちらから日本語が聞こえて来ます。お店の大将は日本人の僕より少し年上の方でした。頂いたお料理はものすごくおいしかったです。お魚、煮物、蒸し料理、久しぶりに日本のおいしい料理を頂いたと言う感じで大満足でした。午前2時になって遅くなってしまったので、タクシーで帰宅。

2日目:野球観戦の楽しさ
 日曜日の朝は8時前に目がさめて、Kさんのアパートのとなりにあるべーグルのお店で朝食を仕入れました。Kさんの家では日本のテレビ放送が衛星で見られるようで、大河ドラマの「利家とまつ」をつい見てしまいました。10時頃になり、Kさんが迎えに来てくれて、Aさんと合流、YaleからやってくるHさんとMさんと合流するために、グランドセントラルステーションまで行きました。途中、日本人向けのパン屋さんがあるというので、そこでお昼ご飯を仕入れました。もう驚きです。アメリカでおにぎりや日本で売っているような惣菜パンが買えるのです。入り口には日本人向けの無料のタウン情報新聞がありました! 
 グランドセントラルの駅は、マンハッタンのまん中にありこんなところに鉄道なんて来てるのかなと思いきや、阪神電車のように地下にプラットフォームがありました。駅の建物はなかなか古くて豪華な感じ。ちょっと雰囲気は梅田の阪急百貨店前の通り(屋根のあるところ)のような感じです。ここからは、コネチカット州へ向かう私鉄が出ているようで、南の方へ向かう鉄道に乗るには、ペン・ステーションと言う別の駅へ行かなければならない様です。さて、少しだけ待って、無事にHさんとMさんと合流し、地下鉄に乗り換えてヤンキースタジアムへ。話によれば、スタジアムの近辺はかなり危ないところだそうで、駅からすぐのところにスタジアムを作ったのだそうです。地下鉄はスタジアムの直前から地上に顔を出して高架になり、左手にスタジアムがすぐ見えます。駅を降りると、大勢の観客がすでに押し寄せていて、僕らも流されるようにスタジアムへ。ところが、入り口で「バックパックは持ち込み禁止」と言われてしまい、入場を拒否されてしまいました。コインロッカーがあるからそこへ荷物を預けてこい、というわけです。9/11以降かなり厳しくなったみたいですね。係員の人の英語がやや聞き取りにくく、とにかく球場の東側へ行けと言うことのようだったので、道路まで歩いてそこにいたポリスに聴いてみると、すぐそこだといいます。2つめの角がどうのこうのと言うので、とりあえずいくと、やっぱりわからない。ちょっとうろうろしてどうしてもわからないので、しかたなく駅のそばにいたポリスにもう一度聞いてみます。今度は分かるまで何度も繰り替えし確認したところ、ボーリング場があるのでその中の荷物預かり所へあずけてこい、というのです。Bowling alley(ボーリング場)というのが聞き取れていなかったことが分かりました(はずかし〜)。ポリスが暗然だから心配ない、というので行ってみると、コインロッカーはなく学会のクロークのようなコーナーがあり、そこで引き換え券と交換で荷物を預かってくれます。5ドルでした。急いで戻り、みんなと合流して観客席へ。非常に見やすいいい席で、バックネット横でした。Mさんとビールやスナックを買いに行きましたが、腹立つことに売り子がめっちゃのろい。スローモーション見ているかの様です。はよせい! 結局試合開始に間に合わなくて、国歌斉唱にも参加できなくてちょっと残念。モニターでいきなりイチロー選手が内野安打を打っているのを見ました。取りあえず戻って試合を観戦しました。それにしても、さすがにヤンキースの本拠地。マリナーズがリードするとものすごいブーイング。イチロー選手や打率の良いシエラ選手がでてくるとブーと球場全体がどよめきます。この日はマリナーズ面白いように点数を入れて、ヤンキースはいいところがなかったせいもありますが、ファンはやっぱり不満みたいで、僕らの目の前に座っていたマリナーズファンの女の子が得点の時に「Yeah!」と言った瞬間、更にその一列前のヤンキースファンの兄さんが、「Mariners SUCK! GO AWAY!」などと、彼女に面と向かってしかも指差して吠えてました。こわ〜。その兄さん、ヤンキースが全然ダメなのでだんだんエキサイトして、ヤジにも力が入ります(笑)。僕らからちょっと離れたところにマリナーズファンの男性が数人いましたが、そこに向かっても「YOU SUCK, MARINERS!」。見回りのポリスにも、「Hey police!, Here are some Mariner's fan, they made problems, take them away!」などと、まあ言いたい放題。僕らの後ろにいたteenらしきkidsの軍団もヤジを言いに来ているようで、「let's go Yankees」というのよりも、「ICHIRO SUCK! ICHIRO SAIAKU!」と言う時間の方が長かったです。他にも笑えるヤジをたくさん言ってました。Mariners fanの男性たちとのヤジ合戦はかな〜り面白かったですが、乱闘にならないかなぁと少し恐かったです。でも、どうやらそれも一つの野球観戦の楽しみ方のようで、試合終了後はお互いに手をふり合って健闘をたたえて?いました。また、Jeterというヤンキースのアイドル選手がバッターボックスに出るたびに、ものすごい黄色い歓声を上げる二人組の女の子がいて、それも見ていて面白かったです。いやあ、ヤジのすごさ、容赦なく浴びせられるブーイング、でもその中でしっかりと成績を残すイチロー選手、やっぱり天才ですね。今日現在で、またもやAmerican Leagueの首位打者になってしまいました。試合は8-4だったかでマリナーズの勝ちでした。
 試合後、荷物を無事に回収し、地下鉄でグランドステーションに戻り、Mさんと一緒に働いていたという中国系アメリカンのRさんと合流。彼の紹介でチャイナタウンの中華料理のお店へ。地下鉄を降りたところで、Rさんの友人(東南アジア系アメリカン)とも合流し、合計7人でお店に入りました。なかなか豪華なレストランでした。Rさんの仕切りでお品を注文しました。いやあ、これがまためちゃくちゃおいしい。会話は英語で、お互いの自己紹介や近況など、Rさんのお仕事の話などで盛り上がりました。8時頃お店を出て、Rさんとお友達はwindow shoppingへ、僕ら5人はチャイナタウンの北側にあるイタリア人街へ。オープンテラスの喫茶店ぽいお店で、今度は日本語で野球の感想やアメリカでの生活のこと、NYの最近の様子などをゆっくり話しました。それにしてもさすがはNY。Utahだとこの時間は街はとても静かで人がいないのですが、ここでは大勢の人たちが夕暮れを楽しんでいます。大都会とは言え、それほど息苦しさは感じませんでした。このお店を出て地下鉄に乗り、Hさん、Mさんはグランドセントラルへ、Kさん、Aさんと僕はそのまま家の方へ。Kさんは実験をしに行くとのことで、僕はAさんのラボを案内してもらいました。ロックフェラー大学は、U of Uとはかなり異なり、キャンパスは狭くどちらかというと会社みたいです。外から見た感じはお茶の水にある東京医科歯科大みたい。中に入ると設備は最先端のものが揃えられ、ビルとビルの間が廊下でつながっています。ラボは思ったほど巨大ではなく、でもうちの大学の医学部のラボに雰囲気は似ていました。お金のあるラボらしく、バッファーやはたまた水までシグマから購入していてこれには全く驚きました。僕のいるラボとはやはり規模も人数もお金も桁違いなのだと痛感しました。Aさんと別れ、アパートに戻りその晩は疲れていたのかすぐにぐっすりと眠ってしまいました。

3日目:NY観光
 3日目は朝お世話になったKさんと会ってNYの観光名所のことを少し伺い、そのあとは自力で観光することにしました。まずは歩いていける国連から。川沿いにある国連ビルですが、荷物を預けないと入ることができません。入るとツアーで中を紹介してくれるようでしたが、時間がかかりそうなのでやめ。特に印象的なものは見られなかったので、地下にあるお土産やさんで国連のTシャツだけ買って、地下鉄の駅へ。一人で地下鉄に乗るのは初めてですが、もともと電車が大好きなので、うろうろ適当に乗ってみてシステムをチェック。自由の女神像を見たかったので、Battery Parkへ向かう線を何とか見つけ、一度乗る電車を間違えながらもなんとか最寄りの駅へ到着。駅の出口から公園がすぐ見えるので、歩いて行くと、自由の女神像へのフェリー乗り場を発見。せっかくだから乗ることに($8)。思ったより時間をかけて11時半ごろ島に到着。そこはnational parkになっているようです。良く晴れた気持ちのいい日でしたので、芝生のうえに寝転がっている人たちをたくさん見かけました。自由の女神は結構巨大で、表情も穏やかでした。奈良の大仏さんと同じ気持ちで見つめてしまう私。たくさんの人がおばかな写真を撮っていて、大変うらやましかったですが、今回は僕はひとりなのでできませんでした。女神像をあとにフェリーに乗り、バッテリーパークに戻ったのが1時半頃。歩いてWTC跡地へ。もうかなりの部分が片付けられており、ずいぶんスッキリしていました。この辺の画像はCNNなどで何度も見ていたので、それほど大きな感慨はなかったですが、でも巨大なビルだったこと、たくさんの人が今も悲しみを胸に目に焼きつけに来ていること、ポリスによる道路整理が今も生々しく続けられていること、など、痛手はひしひしと感じました。実はこのテキストを書いている6/2の一週間前、HBOでMemorial 9/11/01という1時間のドキュメンタリー番組がありました。NY市民の捕らえた貴重な映像をもとに、市長のジュリアーニさん他のインタビューを入れてまとめられていました。いくつかの画像はすでに何度も見たものではありましたが、初めて見る最初のインパクトの映像は心にずしんと響くものでした。消防士さん?たちが、マンホールの下の様子を調べているところをおそらく記録する目的で撮影していたのでしょう、にぎやかにああだこうだいっていると突然飛行機のごう音(まるでB-29の空襲のような)がして、まわりのみんながふと空を見上げます(そう、小学校の時に何度も見せられた、映画「ピカドン」と同じようなシーン)。カメラは最初別の方向を向いていましたが、すぐに飛行機を発見してまさに衝突の瞬間をカメラに捕らえていたのです。一瞬何が起こったか分からないその場の人 たち。出てくる言葉は、Oh my GOD! Holy SHIT! ばかりで、言葉にならないのです。2回めのインパクトは何度も何度も見ていたので、この映像にはものすごく衝撃を受けました。
 話をもとに戻して、WTCを後にし、地下鉄でNBCのあるロックフェラーセンターへ。朝のTODAY showを放送しているNBCのスタジオのある建物には、訪問客用のコーナーがあって、お土産やさんやツアーなどがありました。時間がなかったのでツアーには参加せず、お土産やさんへ直行。ミーハーな私はついついLaw and OrderのTシャツをかってしまいました。他にもNBCの看板番組のロゴの入ったTシャツやグッズがたくさん売られていました。NBCのすぐそばには、紀伊国屋書店があると聞いていたので、少しうろうろすると、発見。ここは何だか不思議な空間で、入るとそこはもう日本。普通に日本の本や雑誌が手に入ります。思わず数冊買ってしまいました。そして、本当に時間がなくなったので、空港へタクシーで向かいました。危なかった。帰りはシカゴ経由で、夜の11時に無事に帰宅することができました。帰り道は本当にすいすいと運転でき、NYの喧噪が嘘のようでした(笑)。

まとめ
 NYは大きな街でした。たくさんのいろんな人種がそれぞれの社会を作って住んでいます。恐いところもあるでしょうが、歩いていると殴られるということはなかったし、地下鉄もバスも安心して乗ることができました。日本人がたくさん住んでいるせいか、日本のものもたくさん溢れており、その気になれば日本と同じ生活ができるような気もしました。ただ、やはり大都会。Utahの田舎ののんびりした雰囲気が気に行っている自分としては、NYの慌ただしさやビルで囲まれた生活は数日でお腹いっぱいと言う気もしました。すべてがアクティブでいろんなことを飲み込んで行く街NY。興味深い体験でした。

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