一時帰国


 みなさんこんにちは。1ヶ月ぶりの更新です。先週8/18に私は32歳になりました。もういい年になってしまいました。これからの一年間はしっかりしなければならないと思います。周りが次々に結婚し子供が生まれたというメールやお子さんの写真を見ることが本当に多くなってきました。いろいろな意味でこれからの1年間は自分にとって本当に大切な時間になりそうです。
さて、今回はVISA更新のために一時帰国していたのでそのことをお話しましょう。

Santa Monica
 SLCを8/2早朝に出発し、その日はLAのそばにあるSanta Monicaに滞在している大学時代の後輩を訪ねました。1泊したのですが、downtownから少し離れたTravelodgeに滞在しました。ここは朝早くに到着したにもかかわらず、すぐチェックインさせてくれました。一泊税込みで$85.63でした。後輩はlodgeまで来てくれたので、海岸までバスで行き散歩をしながらお互いの3年間を話しました。すっかり逞しくなった後輩が僕には眩しく思えました。Santa Monica beachからPierというところまで歩いて、観光名所のPierでお昼を食べ、魚を釣ったりしている人々を見物したり、ゆっくり過ごしました。この日は少し寒く、曇っていて18度くらいだったと思います。その日の夜はSanta Monicaにあった日本人向けのカラオケ屋さんで本当に久しぶりに歌いました。驚くのは、この街には日本と全く同じようなスーパーがあるのです。品揃えから店の中の雰囲気まで、日本のたとえばジャスコとか近商ストアのような感じです。さらにそこには日本人向けに作られた無料の日刊の新聞があり、情報の交換がされていました(NYにも同じようなものがそう言えばあった)。カラオケ屋さんには驚くことに最新の日本のヒット曲が入っていたようで、後輩のお友達はそれらを歌っていました。私はもっぱら古いものばかり。歌って気持ちよくなるものがいいですね。次の日の早朝にTravelodgeを出発し、LAXまでタクシーで行きました。

LAXから帰国まで
 LAXはものすごく混んでいて、大変でした。なんとか無事チェックインを終え、恒例となった身体検査も終えて、SFO行きに乗り込みました。今回はチケットの予約をしたのが2週間前で、かつ8月と言うこともあり、いい飛行機のチケットが取れませんでした。関西空港に行こうとすると、なんと$3000も払わなければなりません。大学の近くの旅行代理店でずいぶん粘った挙げ句、成田経由、名古屋空港発着の便を取りました(それでも$1550)。後で聞いた話では、日本の航空会社の便が実は安くていいらしいです。今回はUnitedにしましたが、帰国中にUnitedがついに倒産か?という朝日新聞の記事があり、せっかく今マイルを溜めているのですがあまり意味がないのかもしれません。とにかく、この日はLAX-SFO-NRT-NGOという2回乗り換えで名古屋空港まで行きました。疲れていたのか、サンフランシスコまではほとんど寝ていて何も覚えていません。SFOから成田へ向かう便では、さすがに日本人が増えてきて、待ち合い室は懐かしい雰囲気です。しかし、帰国するんだ、という感慨が前回に比べてありません。昨年10月に帰国したのが、つい最近のように思えるからでしょうか。さて、この飛行機の中で、とんでもないことになってしまいます。僕はあまり寝ていなかったのでしっかり寝ようと思い、離陸後のドリンクサービスでスクリュードライバーを頼んで、気持ちよく飲んでいました。すぐ後に出た食事もまあまあできちんと食べ、ちょうどイイ具合に眠くなったので、シートを倒して30分ほど寝ていたと思います。ところが、急に目が覚め、その瞬間に顔から血の気が引いてしまい、一気に気持ち悪くなってしまいました。慌てて通路に出て、トイレへ向かいますが途中で立っていられなくなり、はずかしながらもハイハイしながらトイレへ。ところがトイレはあいにく2つとも先客が。しかたないので、とりあえずノックだけして待っていると中から中国人の男の子が出てきました。さっと入れ違いに入って、一気に吐いてしまいました。食べていたので、うまく吐くことができ、少しじっとしていたらすっかり元通り気分は良くなりました。どうなることかと思いましたが、席に戻るとすっかり楽になり、目を閉じてぼーっとすごしていきました。そして成田には2時頃着いたでしょうか。さんざん暑いと言われていましたが、本当に暑かったです。ゲートに着けなかったので、飛行機から降りるとバスでターミナルまで連れて行ってくれます。そこで見た出来事が少々気分の悪いものでした。というのは、かなりのお年のアメリカ人のおじいさんが、乗り継ぎのバスの入り口の目の前に立っていたので、普通の感覚ではお年寄りを先に乗せてまず座ってもらうはずなのに、なんと、バスのドアが開いた瞬間、他の乗客が一気にドアに押し寄せてしまい、どうしたらいいか分からないおじいさんはおろおろするばかりでなかなか乗れません。僕はまだ飛行機から降りていないのでその状況を上からみていたのですが、みんなもう少し気を使えばイイのになぁとがっかりしました。このバスがまた混んでいて、後ろの方にいた私も結局乗ったのですが、おじいさんは座れなかったみたいで立っていました。おじいさんの奥さんらしきおばあさんはうまく座れたようで、おじいさんはそのそばに立っていました。おばあさんの真後ろの席には学生らしき女性が座っていたので、心の中で「かわってやれよな」と思いました。このバス、混雑する成田空港の中を走るためにターミナルに着くまで結構時間がかかっていて、僕の後ろで立っていた韓国系の中年の女性はかなりしんどそうでした。しかも、ターミナルにやっと着いたと思ったら、前のバスがなかなか動かず乗客をおろすことができません。しまいに運転手は怒り出してしまい、まだお客さんが乗っていると言うのに前のバスのドライバーに怒鳴り付ける始末。何とかして欲しいですね。ここで、とにかくも荷物を税関に通し、入国審査を行わなければならないらしく、まずその二つを終わらせると、なんとその荷物を今度は自分で持ち、国内線の乗り継ぎに持って行かなければなりません。これが結構面倒。乗り継ぎのANAは別のターミナルなので、そこまでバスに乗らなければなりません。Unitedの人が乗り継ぎの人のために大きな荷物をまとめて運んでくれたから良かったものの、中には自分で運ばなければならない外国の方もいて大変そうでした。さらに腹立たしかったのが、成田で再びチェックインをしなければならないこと。荷物にはLAXですでにタグが名古屋までつけてあり、搭乗券も発行済だったにもかかわらず、再びANAのカウンターの長い列に並ばなければなりません。どういうわけか、僕の前のお客さんのところでチケットにトラブルがあったらしく、さんざん待たされた後となりのカウンターに行けと言われて、僕の後ろの大阪のおばさんはメッチャ怒っていました。すぐ後ろにいたドイツ人は何がなんだか分からないようだったので、説明してあげなければなりませんでした。まあいろいろありましたが、なんとか成田を脱出し、名古屋に着くことができました。どうしてこうも乗り継ぎが大変なのか、アメリカのシステムに慣れている自分はどうも理解できないものがあります。税関を出たところでベルトコンベアーを設置し、SFOやLAXのように再びチェックインする必要のないようにすればいいのになぁと思います。さらに、なぜ成田で再びチェックインしなければならないのかが理解しかねますね。日本の空港は非常に混んでいるから仕方ないのかもしれませんが、長距離便の場合はできるだけゲートに直接降ろしてもらえるようにできないものなのでしょうか。一方で、Utahへ帰る時は名古屋で一度チェックインすればあとはSLCまで一気に運んでくれます。やはり税関検査の問題なのでしょうか? 少し不満の残る今回の日本上陸でした。

H-1B VISAへの更新
 名古屋に着き、ものすごく暑かったので、その日の夜は冷房をつけっぱなしにして寝たところ一気に風邪を引いてしまいました。次の日の朝、のどが痛くてたまりません。そんな中、京都にあるいつもお世話になっている業務渡航センター(ホームページは http://www.gtcenter.co.jp/ です)にVISA更新のための書類をもって行きました。今回必要だったのは以下の書類です。

書類作成の際、少々気をつけなければならないことがあります。申請書作成のための質問書には、勤務先、米国滞在中の住所、勤務先の住所などを書かなければなりません。「これまでに米国に行ったことがありますか?」と言う問いには、私の場合「Yes, from 4/19/1999, 39 months」ということにしました。補足申請書には、「火器、爆発物、原子力、生物学、化学における経験を含み専門的技能がありますか、または訓練を受けたことがありますか、if yes、説明して下さい」という質問事項があります。少々緊張させられるものですが、ここはYes, trained to be a research scientist in biologyとしました。更に、「専門学校を含み、現在もしくは過去に在籍したことのある教育期間を全て記入して下さい(小学校をのぞく)」というのがあります。ここは、中学から順番にその住所と電話番号を書いていかなければなりません。在籍年月日が開くとまずいのか、駿台予備学校京都校で浪人していたことも書かされました。最後に、「具体的な旅行の手配をしていますか、yesの場合、出発/到着日程、便名、訪問地、および訪問地での連絡先を含む旅行の完全な予定を記入して下さい」というのがあります。ここには、Utahへ戻る便のこと、および連絡先はボスの大学の住所を書きました。

 H-1B VISA発行には2週間かかるということだったので、月曜日に業務渡航センターに書類を提出し、12日後の8/16金曜日に受け取り、17日に帰国すると言う日程にしていました。休む期間をできるだけ少なくし、ぎりぎりの日程でした。8/5月曜日に書類を京都の事務所までもっていき、これですべてOKのはずでしたが、翌日名大の研究室でdiscussionしているところに電話が入り、書類が一つ足りないので6日の申請はできなかった、という連絡が入りました。青ざめて、良く聞いてみると、上記2番目waiver approvalの書類を提出していなかったのです。しかも、それはUtahにあるのでした。そこで業務渡航センターの担当の方と相談し、FAXでコピーを送ってもらうことで何とかしよう、ということになりました。時差があるので、まずe-mailでUtahのボスに書類を3ケ所にFAXしてほしい旨を伝えておきます。そして、夜中にUtahのlabにボスが現れそうな時間に再度彼に電話し確認するということにしました。その書類はボスが確保していることは確実だったので、このような処理ができたのでした。その日は朝の2時頃まで待って電話をし、さらにFAXをチェックして、確かに必要なものを送ってくれたことを確認しました。翌7日に、再度業務渡航センターに電話し、無事H-1B更新の手続きは始めることができたことを聞き、あとは待つだけとなりました。
 というわけで何とか始めることができましたが、17日の帰国便に間に合わない可能性が非常に高くなりました。困ったのでUnitedに電話で聞いてみると、LAまでの便は無料で日程を遅らせることができますが、国内便のLAX-SLC便は$100ほど手数料がかかるとのこと。仕方ないので、とにかく連絡を待つしかなかったです。あまりラボを休むのは気が引けるので、私としては早くUtahへ戻りたかったのです。そして、15日木曜日に業務渡航センターに電話したところ、残念ながら15日にはVISAは上がってこないとのこと。気を揉みながら翌日午前11:30に再度電話(領事館から業者の方が戻ってこられるのがこの時間だから)。今度はいい知らせで、無事にVISAは上がってきたとのことで、大阪は南森町にある事務所にVISAを取りに行きました。H-1BはJ-1とほとんど一緒の図柄でした。かかった料金は、VISA実費が\8.125, 申請代行手数料が\12.800で、全部で\20.725でした。少々気を揉みましたが、これで無事に予定通りUtahに戻ることが可能となりました。
 これは余談ですが、申請に時間がかかる理由として、最近神戸の領事さんが交代したのだそうで、まだ慣れていないのか引き継ぎ期間なのか、時間がかかってしまうようです。しかし、私の時で結局10日でしたから、スピードアップしていることは確実です。J-1の更新の場合は、もっと早くて数日でできてきているとの話もありました。ちなみに、H-1からH-1への更新は、アメリカ国内で可能だそうです。J-1からJ-1、J-1からH-1への更新は日本に戻ることが必要だそうです。詳しいことは業務渡航センターにて相談してみて下さい。私が2年前にJ-1からJ-1への更新をした際はアメリカにいながらできましたが、最近はできなくなったのだそうです。

名大、阪大での3日間
 さて、今回の帰国はVISA更新がメインだったので、ほとんど仕事の予定は入れませんでした。2日だけ、名古屋の前の研究室でdiscussionをし、1日阪大のstudy groupの人たちの前でpresentationをしてきました。久しぶりの日本人とのdiscussionはなかなか面白かったです。もといた研究室も今は私がいた当時とくらべてずいぶん変わり、発展して行っているような感じを受けました。たくましくなったかつての後輩を見て、自分も頑張らなければならないと思いました。阪大では医学部の方達と話す機会を持たせてもらい、これもとても刺激的でした。臨床につながる実験は私には縁のないものだったので、大変面白かったです。意欲のある学生さんたちを前に、気が引き締まる思いでした。

実家にて
 さて、今回はこのようにあまり日程を入れなかったので、実家でゆっくりとVacationを楽しませてもらいました。ボスのDavidも2 weeks、vacationをfloridaで楽しんでいたので、私もそれくらいはいいだろうと思ったわけです。上で書いたように、10ヶ月前に帰国しているせいか、今回の帰国ではそんなにculture shockもなく特に感慨もなかったのですが(携帯を持っている人の多さ、電話をせずに必死にメールを打っている人たちにはちょっとびっくりしましたが)、実家では少し気持ちが変わりました。というのは、父が会社を引退し、母とともにずっと家にいたからなのです。弟は残念ながら忙しくて帰省できなかったために会えませんでしたが、両親と1週間一緒に過ごすというのは、実は名古屋で大学院生をやってた頃にもなかったことで、10年ぶりくらいなのです。朝の早い生活、連続テレビ小説を見たり、高校野球を見たり、食事の後にゆっくり話をしたり、気が付くとあっという間に夜になったり。本当はどこかに両親を連れて行きたかったのですが、家でゆっくり過ごすのもよかったです。急に母が思い立ち、難波のお豆腐料理の店に食事に出かけたり、Utahで使う衣類を買いに奈良ファミリーに出かけたり、学園前の駅からちょっと行ったところに新しくできたスーパー銭湯に行ってみたり、ずっと見てみたかった日本の映画や韓国映画をレンタルして一緒に見たりと、のんびりとした生活でした。こうして暮らしてみて、前にも思ったことなのですが、やっぱり日本がいいなぁと。この平和な時間の流れ、安心感はアメリカで気張って生活しているときには感じられないなぁと思いました。テレビはアメリカにくらべて展開の遅さが気になりましたし(火曜サスペンスとLaw and Orderでは全然スピード感が違う)、氾濫している世俗的なものにはへきえきしましたが、なんだかやっぱり日本は自分の帰るべきところのような気がしました。Davidと約束した3/31/2004まではUtahで頑張り、その後は帰国したい、その気持ちがとても強くなってきたことは確かです。不思議なことに、Utahにこうして戻ってきて、今感じることは、それまでinternet surfなど思えばしょうもないことで随分時間を無駄にしてきたということ。昨日の土曜日には、それまで預かっていたNJに引っ越した友人の荷物を送りだしてスッキリしたこともあって、一気に家の大掃除をしました。たまっていた雑誌やいらないものをすべて捨て、internetのbookmarkも大幅に削除して必要なものだけにし、床を磨き、車をきれいにし、今こうして帰国のことをreportにまとめたら、すべて新しい気持ちになれそうです。これからの限られたアメリカでの1年と7ヶ月を、納得の行く充実したものにすべく、頑張って行きたいと思います。

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