9/11を終えて |
静かな一日
9/11水曜日、Utahは朝から雨でした。大学の雰囲気はいつもとくらべると静かな気がしました。この日はお昼にUnion buildingで黙とう、夜はキャンドルサービスがPark buildingで行われました。ラボはいつもと変わらず、何ごともなかったかのように過ぎて行きました。特に誰もterrorist attackのことを話題にしなかったです。前日までは、アメリカ人の学生さんやボスよりも、外国人の僕の方が気にしていたようで、この1周年の話題を振るのは僕程度のものでした。学生が発行するThe Daily Utah Chronicleでは、Sept.11. 1 year laterと題した特集を組み、学生の意見などを載せています。僕の取っているSalt Lake Tribuneでも、Unforgettable: Reflecting on 9.11.01 and its legacyと題した特集を載せていました。どれも、WTCの崩れて行く写真や、飛行機がぶつかって行く写真などを取り上げていました。テレビでも3大ネットワークではしっかり時間をとってmemorial programを組み、あの日に何が、どんな風に起きたのか、時間を巻き戻しながら、奇跡的に生き残った人の話や、大切な人を失った人の話などをまじえながら、振り返り検証するというものでした。何度も見ている写真や映像なのですが、当事者の話を聞きながら見て行くと、事件の大きさに改めて圧倒されました。アメリカの東海岸にいる友人たちは、時間にあわせて黙とうを捧げたそうです。僕は、その日唯一行われたAthletic eventである、women's volleyballの公式戦会場で黙とうしました。バレーが好きだから観戦しに行ったというのもありますが、どうにも沈みこみそうになる気持ちをバレーの試合ではじき出されるエネルギーで吹き飛ばしたいという気持ちと、どんな風に試合が行われるのかに関心があったということがあります。会場へ7時前に行くと、ちょうど公式練習が終わり、両チームがコートサイドに並んだところでした。アナウンスがあり、全員が起立して黙とうを捧げ、続いて、軍隊らしき人たちがコートのまん中に国旗をもって並び、トランペットを持った別の軍人が国歌を厳かに吹きました。その後、試合は普段通りに始まりました。最初は観戦者が少なかったのですが、だんだんと増え、最後はほぼシートが埋まり、会場は我がU of Uを応援する人でいっぱいになりました。それに応えるかのように、危なげなくIdaho Stateを3-0で下しました。観戦を終えて外に出ると、雨がちょうど止み、周りは静まりかえっていました。歩いてそのまま家に帰りテレビをつけると、何ごともなく一日が終わって行ったニュースが流れていました。何となく疲れて、すぐ寝てしまいました。
Accept differences, never tolerate evil
これはChronicleのコラムのタイトルからの引用ですが、アメリカ人の多くが思っていることを非常に的確にまとめていると思います。このevilというのは、「我々の生命、自由、幸福を求める行為を脅かし、我々の国を攻撃するもの」であると、このコラムニストは書いています。アメリカが怒っているのは、何千人もの罪のない人々が無制限に殺されたということなのです。アメリカの繁栄の象徴であったWTCをぶち壊し、自由の国アメリカに挑戦を仕掛けたものに怒っているのです。新聞や雑誌をざっと見たところでは、WTCの悲劇を取り上げて、アメリカはテロでこんなに被害を受けたということを書いているものが多く、載せられている意見も、その多くがテロリストを許してはいけないということと、危機において勇敢に立ち向かって行った消防士や警察官、そしてテロと実際に闘う兵士たちをたたえ、テロに負けないアメリカ、今こそ、アメリカ人はアメリカ人として誇りを持たなければならない、というものが多かったです。また、アラブ系のアメリカ人が、苦悩しながらもイスラムは平和を唱える宗教なのだということをくり返し主張している姿が、必ず押さえてありました。U of Uでも、9/11直後にこそ、中東系の顔つきや名前を持つ人たちが、心のないひどい言葉を投げかけられたり、敵意を持った視線で見られたりしていたようですが、オリンピックを終えた今は、その難しい空気はほとんど消えたという話が載せられていました。とはいえ、僕のすむUtahは、被害のあった東海岸から遠く離れていることもあり、街や大学を見ている限りでは、僕にはあまり大きな変化というものは感じられないのが、本当のところであります。
イラクとの戦争?
ここ数日テレビをにぎわせているのは、やはりイラクとの戦争です。国際連合でブッシュ大統領はイラクへの監察を主張しています。それ自体はいいのですが、イラクへの戦争はどうももはや避けられないかのように見えます。サダム・フセインを今倒しておかなければ、国際連盟がヒトラーや日本の満州侵攻を許した時と同じ過ちを犯すことになるのだ、という論調なのです。アフガンへの攻撃の時にも思いましたが、なぜ軍事侵攻へとすぐにつながって行くのか、わかりません。アメリカ国内でもまだ意見は別れているように見えて、新聞にもサダムを甘く見てはいけない、アメリカに大きな被害をもたらす危険がある、という記事があったかと思えば、Bushは国際連合で他国の支持を得ることは難しいだろう、というややトーンダウンしたものまで、いろいろです。しかし、トーク番組にもこのところ政治家が多く出てきて、イラクを攻めることの支持を求めているかのように見えます。悪いやつはこらしめなければならない、アメリカはそれだけの力があるのだ、という強い者の論理がそこには見えかくれして、どうも恐いなと思うのです。
複雑な気持ち
このようなアメリカの中で暮らしていて、僕の日本人としての気持ちはどうも複雑ですね。テロの犠牲者のことを思えば、なんと悲しい出来事なのだろうかと思うのですが、その一方で、数の程度は違うと言えども同じように殺りくがアブガニスタンでも行われているわけです。テロを許すわけにはいきませんが、考え方の大きく違う人たちの住む地域を、テロリストがいるからというだけで攻めていいのでしょうか。インドから来ている親しい友人の話では、アメリカと西アジアでは文化は本当に大きく違うとのこと。特に男女交際においての制限は西側諸国では信じられないほど厳しいです。女性の自由ということを考えれば、僕ら日本人から見ても確かに過剰な制限がかかっているといえるかもしれません。アメリカの人気テレビドラマ、The West Wing(日本では「ホワイトハウス」という邦題で放送)の前シーズンのあるエピソードで、広報担当の女性CJがある西アジアの国の高官に「(その国で起きた西側から見て理不尽な女性の殺害事件に反応して)女性の権利を奪うひどい国だ」と食って掛かるシーンがありました。これを見た時、なんとも言えない、妙な気持ちになったことを覚えています。アメリカの基準で判断することがすべて善なのか?と。ついこの間も、ミュンヘンオリンピックで何人ものイスラエル人の選手がパレスチナの暗殺団に殺された事件の30周年特集を見て、パレスチナが先に殺害を起こしたとは言え、イスラエルも同じ手で報復をしている愚かな姿を見せられ、なんとも寒い気持ちになりました。世界中の誰もが、中東で起きているこのテロが、不毛な争いであると感じているはずです。それと同じ報復をしているアメリカ。イスラエルやパレスチナで起きているテロのことを、アメリカはどう感じているのだろうかと、思います。世界の小国からアメリカに向けられている叫びを、この国はどう受け止めているのかと。また、新聞にあったのですが、9/11以後使われるようになった新しい単語、として、Ground ZEROというのが取り上げられていました。それまでこの言葉は、広島や長崎の原爆爆心地を表すものとして使われていた言葉なのです。それが、今ではすっかりWTCの跡地のことになってしまいました。日本人にとっては非常に重い意味を持つこの言葉が、アメリカでは9/11全く違う意味に変わってしまったことは、残念なことだと個人的には思います。きっと原爆と同じくらいのインパクトがあったと言うことなのでしょう。また、9/11のことが話題になると必ずパールハーバーが比較として取り上げられることには、日本人としてはやはりあまり気持ちのよいものではありません。何だか日本も責められているように思えてしまうのです・・・
このような、少々屈折した思いで考えているうちに、一つ気付いたことがあります。何度も何度もWTCの悲劇を見て聞いているうちに、9/11は「被害者としてのアメリカ」の記憶を永遠に残して行くのだろうと。「こんなひどいことをやられたのだ、絶対に忘れてはいけない!」という、苦しめられた記憶と言うのは、時間がたっても消えることはない。そしてそのことは世界のどこに住む人でも同じなのだと。振り返って日本のことを考えれば、アジアの国々に対し、日本は戦争中大きな被害を与えてきました。戦争と言う異常な環境であったとは言え、苦しめられた国の人にとっては消すことのできない歴史なのですね。日本に向けられる厳しい眼差しは、私達実際に関わっていない世代であっても、向けられることを避けることができません。戦後50年以上経つ今でも、アジア諸国が日本の動向を厳しく見ている心情を、アメリカも理解できたのかなと、テレビや新聞でくり返されるunforgettableという言葉を見ながらふと思いました。複雑な気分になるのは、アメリカは今回は被害者ではあるけれども、今まで圧倒的な軍事力や経済力を背景に加害者にもなってきていたことを忘れてはいないかという思いもあるからです。イラクとの戦争を始めることは、結局アメリカを敵視する人たちを増やすだけなのではないでしょうか。ただ、アメリカ人も他国のことをしっかり勉強する動きが活発になってきたことは、ここに記さなければなりません。9/11以後、中東のことを学ぼうとする人々の数は大きく増えて、Uでも聴講出来るクラスがたくさんできました。日本とはちがう、この大学のレスポンスの速さは、やはりアメリカの良いところですし、多くの人が今まで考えもしなかった他国のことを理解しようとしていることは見逃してはいけないし、日本の皆さんにも分かって欲しいなと思います。
暗いことばかりではない!
上に書いたように、accept differencesというけれど、実際、アメリカではracismが復活してきているのではないかと、仰る人もいるでしょう。確かに、移民についてはかなり厳しい制限がかかるようになりました。America is unitedということで、アメリカに来たら、英語を話し、アメリカの文化を身につけて、もといた国のことは忘れなければならない、という風潮がおこりつつあると言えばそうなのかもしれません。実際には、そんなプレッシャーは全く感じてはいないですが、English onlyということは、あらゆる場所で採用され、空港で厳しくチェックされるのは英語をうまく話せない人物だと言うのはまあ本当です。このwebでも何度も書いてきましたが、英語が話せないとやっぱりある程度は悔しい思いを覚悟しなければなりません。しかし、自分の祖国のルーツはむしろ誇りに思うべきだという雰囲気が今アメリカでは盛り上がってきていると思うのです。これは大変いいことです。たとえば、Japanses Americanの場合、自分はJapaneseのルーツをもつけれど、I am proud of myself as an Americanとなるわけです。この小さなSalt Lake Cityでも、先週はGreek festivalが、今週はIndian festival、そして7月半ばには日本の盆踊り大会なんかもあり、そうした催し物がなかなかの人気なのです。さらに面白いのは、誰もが予測できなかった映画「My Big Fat Greek Wedding」の大ヒットですね。4月頃に公開が始まり、three starsと批評家の間ではなかなかの評判ではあったものの、非常に地味な展開だったこの映画が、実に20週のロングランを経て、今では週末の興収でメル・ギブソンの「Signs」に次いで2位、と大ヒットになったのです。僕自身もこのコメディーを5月頭に見て、なかなか心あたたまるいい映画だったと思いました。この映画は、シカゴにすむギリシャ系のアメリカ人の女性が、ギリシャ系でないアングロサクソンの白人男性と恋に落ち結婚するまでを描いたコメディです。ギリシャ系の人たちが、自分達のルーツを誇りに思い、文化を守りながら、アメリカで暮らして行くその姿が非常に微笑ましく、文化の違いを乗り越えて新しい生活を作ろうとする若いカップルの奮闘に勇気を感じ、嫁いで行く娘さんの両親の切ない気持ちが、結婚を意識せざるを得ない年令に達した自分には非常に良く分かったりと、見ていて心がほんわかあたたまるのでした。この映画が大ヒットした理由の一つは、きっと、9/11の後、文化の違いを思い知らされたアメリカ人たちが、何とか違いを乗り越えていきたいという希望を、この映画に感じたからではないかと思います。単一民族で基本的に成り立っている日本では、この映画ははやらないかも知れないけれど、これから国際化の波にさらされて行く日本でも、ぜひ多くの人に見て欲しい映画だと思いました。日本でもAccept differencesであってほしい。なんでも同じでなければならない、人と違うことをすればいじめられる、というのでは、これからの日本は世界に取り残されてしまいます。お互いの違いをきちんと理解出来るようになれば、在日韓国人の問題も、もっと解決しやすいものになるのではないかと思います。窪塚洋介主演のGOという在日を主題にした映画が昨年注目を浴びてきたことから、日本も少しずつ変化を受け入れることができるようになってきたのかなと思います。 もともと、日本人は変化に柔軟なところを持っていて、明治維新以降、西洋の技術をすんなりと取り込んだ実績があります。良いものは良い、とお互いの価値観をきちんと認める素養は日本人にしっかりとあるはずだと、僕は信じています。
何だか歯切れの悪い文章ですみません。今回はここまでです。