近況 |
ノーベル賞
日本人の科学者が二人もノーベル賞に輝いたのは、本当に嬉しい話でした。とくに化学賞の田中さんのお仕事は、島津製作所の質量分析機に関するものであり私にも少々関連があるもので、何となく親しみを感じました。田中さんの場合、御本人にとって予想外の受賞と言うことで、報道も大きくとりあげて彼の人柄や研究への情熱なども一般の方々に伝えられたとのこと。日本の科学が世界にこうして認められたことは非常に嬉しいことです。海外にいる私も大いに勇気づけられました。先週のNatureでは、面識のある大阪大学の山口先生の研究室から、膜タンパク質の結晶構造がArticleとして発表されました。NatureのArticleは世界で最も質の高い論文と考えられています。なかなか発表出来るものではありません。でも、私が所属している生物物理学会の研究者の方々がここ数年Natureのarticleに発表されていることは、大変嬉しいことであります。この週のNatureには、いつもよりも多くの日本人研究者がラストオーサーに名を列ねていたことも、嬉しいことの一つでした。批判の多い日本の科学ではありますが、まだまだ日本も捨てたものではない、と心の中で誇らしげに思いました。また、同時に自分自身ももっと頑張り、いい仕事を発表出来るように努力しなければならないと引き締まる思いでした。
英語のこと
最近少し嬉しいことがありました。大学内にある、Pioneer Theaterに'Proof'という演劇の公演を見に行ったのですが、とても自然に楽しめました。英語はほぼすべて聞き取ることが出来、登場人物の心の移り変わりや隠された秘密などが、周りの人たちと同じように「あっ」と分かったのです。ジョークもだいたい飲み込めて、周りと同じところで笑えたし、会話の中に出てくるアメリカの背景なども雰囲気を掴むことが出来ました。これは自分にとって嬉しい発見でした。Pioneer Theaterには、来て1年目の時にボスからチケットをもらって見に行ったことがあります。でも、その時は俳優さんたちの会話を聞き取ることができず、周りが笑っている時も何故面白いのか分からず、半分以下しか楽しめなかったのでした。それが今回は言葉がすんなりと耳に入ってきたのです。舞台演劇だから、しっかりと分かりやすく聞き取りも楽なように発音されているからこそなのでしょうが、3年半の月日は、自分の中でそれなりに過ぎて行ったのだなぁと、感慨深く思いました。
しかし、だからといって、英語がすっかりモノになっていると言うわけではないのです。恥ずかしいことに、今日もSalt Lake Roasting CompanyでLarge size coffeeを頼んだ時に、僕の発音は通用しなかったのです。今でもラボのメンバーの会話で分からない言葉は良く出てきて、その度に聞き返さなければなりません。話す時に言葉に詰まることはまだまだたくさんあり、いつまでたってもこのままうまくならないのではないかと、暗たんたる気持ちになることがあります。変わってきたことは、電話はもうすっかり恐くなくなったこと。分からない時はきちんと聞き返せるようになりましたし、初めての電話の相手でもそれほど緊張しなくなりました。これは「慣れ」がなす技なのでしょう。
最近は、自分が大人しい性格でもともとあまり話す方ではないこと、どちらかというと話を聞く方であること、また行動派と言うより受け身な方であることが、英語の上達が遅い理由の一つなのかもしれないと思います。親友のMomoやSujietは本当に良く話す人たちで、だからこそ英語もnative並みに身に付けたのではないか・・・ 帰国したフランス人のMurielleも、仲良くなった人とは本当にたくさん話をしていました。この人と話がしたい、こんなことを聞いてみたい、そうさせるものが、彼等にはある。私にはそれがあるのだろうか? Seijiだからこそ聞いてみたい話、Seijiにしか分からない話、それがあるのだろうか、そして話し掛けやすい雰囲気を私自身が作っているのだろうか? いつも大人しく特徴がない、日本で言えば「いいひと」とでも言うのでしょうか、なんだかいてもいなくても同じようなそんな感じなのではないか?と、不安になることがあります。この年でそんな自分の性格のことで悩んでいては恥ずかしいのですが。
気持ちの変化
最初は身内だけにしか知らせていなかったこのwebも、いつの間にか多くの方の目に留まるようになりました。滞在3年半が経ち、新しくこちらへお越しになった方々からお便りをいただくことがあります。滞在半年が過ぎて最初の山を向かえた方が、私の留学報告の1年目のころのものをお読みになり実感が湧いたと教えて下さったり、2年目を向かえた方には、英語の難しさについての私の感じていることに共感していただいたり、ネガティブな気持ちを書いていたときには、後輩から「あまりお先真っ暗なことを書かないで下さい」と指摘されたり・・・ 不思議なものです。滞在が長くなると自分の気持ちもずいぶんと変わるものです。最初の1年は無我夢中で必死にアメリカ人と同等になろうと努力していました。あの頃は無性に日本が恋しくなったり、日本で話題になっていることが気になったりしていました。2年目になると、アメリカの生活に慣れてきたこともあり、アメリカのテレビや映画にすっかりはまり、アメリカの友達も出来てあちこちに遊びに行ったり、パーティに参加したりとエンジョイできるようになりました。日本人の仲間もそれなりに増えました。思えば日本の悪いところばかりが見え、アメリカの良さが心地よくなりはじめたころです。3年目になると、英語がそれなりに操れるようになり、世界の中での日本人としての自分に気持ちが向くようになってきました。9/11/01があったり、オリンピックがあったり、ワールドカップがあったりと、世界の中の日本、世界の中のアメリカ、アジアと日本、そして自分、というグローバルな見方を意識するようなところが出てきました。アメリカの良さも、日本の良さも、ある程度分かるようになってきたような気がします。そして今。前回の報告で、9/11のこと、アメリカの戦争への態度、日本が行ってきた過去の出来事、アジア人としての自分のことなどを書いてみました。今年になってから、とくに大きな世界レベルでの動きがあってから、こうした世界観というものにずいぶんこだわり、考え、悩んできたと思います。いろんな国の人と意見を交わしてきたと思います。でもまだまだ自分の中でクリアに物事が、意見が見えてこない。ふと周りを見れば、J VISAで来ている人たちの多くが私より先に帰国していきます。彼等はアメリカで必死に生活し、結果を出し、エンジョイして、日本へ帰って行く。彼等に比べ、自分はずいぶん時間の使い方も悩んでいることも贅沢なことに費やしているのかも知れない、と思うのです。学生さんたちは授業や学校の活動で忙しく、その中でアメリカの生活を精一杯楽しんでおられる。本来仕事をし結果を出すためにやってきた私は、サイエンスや英語の習得以外のことに時間を割き過ぎているのかもしれない。時間の使い方が間違っているのではないか。そんな気がしてきました。もう少し、サイエンスに時間をかけ、英語もしっかり話せるように努力すべきなのではないか。ということで、これからのwebの更新は間が少し開くかもしれません。今までのように、こんな新しい体験が出来た、日本ではできないアメリカならではの話、というような報告はもう今となっては書けないのかもしれません。更新の頻度は減るかと思いますが、今後の報告の時には、これをどうしても伝えたい、という気持ちがあるときに載せることになるかと思います。