近況 |
2つの国際学会
年が明けて3週間程してから、メキシコでBLASTという私の分野の学会がありました。2年前にもここで報告を書いています。今回も同じところで行われました。私は4年ぶりに口頭発表でした。準備に時間をしっかりかけるつもりが、思いもよらず実験で時間がかかってしまい、準備は本当にギリギリでした。会場についてからずっと練習をくり返し、2日目の夜のセッションで3人目に発表となりました。この発表は4年目を終えつつある私にとって、4年間の成長ぶりを示す大きな意味を持っていました。研究の内容はそこそこのものを準備することができましたので、プレゼンテーションの部分で何かプラスになるものを見せなければなりません。そのために、納得いくまでスライド、しゃべりなどの準備を行いかなり気合いを入れてスクリーンの前へ。4年前の記憶が蘇ります。あの時は丸暗記して覚えている単語をただ口から発していただけで終わってしまいました。その反省もあって、今回は発音と話のリズム、そしてできるだけはっきり・ゆっくりとしゃべりさらに顔は聞き手の方を見るように、それだけは気をつけて発表しました。終わってみての満足度は30%程でした。口籠ってしまったこと、質疑応答ではもっとうまく答えることができたであろうこと。もっともっとうまくできたのにという悔いが残りました。それでも、意外にも評判はよく少しだけ自信も湧きました。
2月に入り、今度はNew Mexicoで開かれたKeystone Symposiaに参加しました。ラボからはボスと私だけの参加でした。この学会では本当に多くのことを学び、自信もついたのですが、自分の位置を見直すいい機会にもなりました。ボスとはこれまでなかったくらいたくさんの話をしました。私の将来のこと、プライベートのこと、実験のこと、サイエンス一般のこと。私は本当にこのボスについて良かった、自分は幸せな生活をさせてもらっているのだと心から感謝の思いで一杯になりました。自分は人との出会いには物凄く恵まれているとつくづく思います。ボスの前では緊張もなく心から素直な気持ちを話すことができます。ボスも私には真摯に向かってくれます。そこに信頼の関係があるからこそ、4年も一緒にUtahの小さなラボで問題もなくやって来れたのだと思います。いずれ、ボスとのことはここできちんと書いてみたいと思います。
Keystone Symposiaに行って自信となったのは、いろいろな人たちと無理なく話せるようになったことでした。これまでは面識のない人に話をしにいくのには本当に勇気が要り、なんどもフレーズを練習してから話にいったものです。ついこの間まで、知らない人の中にポンとほうり出されてしまった時には、ぽつんと一人でいるのが本当に苦痛で仕方がなかったです。それが、グループの中に抵抗なく入って行くことができ、話題にのっかることができるようになりました。おかげで、様々な情報交換も思った以上にできたし、論文でしか名前を拝見していなかった方々と実験条件を話すこともできたりしました。そう、日本の学会と同じような気持ちで臨むことができるようになったのが大きかったです。4年の年月は、それなりに過ぎて行ったのだと、思えるようになりました。
日本への思い
私の友人達も多くが帰国を決めていきました。この春には仲良くさせていただいた何人かの方々がアメリカ、そしてUtahを後に日本へ帰国されます。私も考えなければならない時期になりました。4年アメリカにいて、それまであまり深く考えたこともなかったアメリカがとても身近に思えるようになり、Salt Lake Cityは私の第3の故郷と言えるようになってきました。ここUtahでの暮らしには本当に恵まれています。信頼のできるボス、培ってきた友人、アウトドアもインドアも十分に楽しめる環境、比較的平和な街、ゆったりしたアパートと町並み、といった具合に、離れたくないと思わせる多くのことがここにはあります。言葉にもそれなりに自信がついてきました。それでも、今の私の中では、帰国への気持ちは大きくなってきています。それはなぜなのか。家族のこともありますし、日本に貢献したいという気持ちも十二分にあります。日本をベースに各国とつながりを持つ仕事がしたいという気持ちも大きいです。でも、それだけではない、簡単には説明できない何かがある気がしています。故郷の日本、自分のidentityは日本人なのだという思いなのでしょうか。ある方にも言われましたが、どこへ行っても結局日本人なのかなと思います。来た当初よりも今はなぜだか、自分は日本人であり、それを誇りに思っているんだ、という気持ちが強くなってきているのです。決して右寄りになったと言うわけではないのです。様々な国の人と出会い、話をして行くうちに、ルーツを意識するようになって行ったのでしょうかね。なんとも不思議な気持ちなのです。そしていつしか、一日本人として、自分はこう思うんだというようなことを、主張することもあるようになってきたのです。これからの1年間で、いや後半年で、自分の将来をハッキリ定めなければなりません。非常に重要な時期に差し掛かってきたと、身が引き締まる思いです。