いくつかの考察


 こんにちは、小嶋です。ひさしぶりに更新する気になりました。前回の更新の後、4月19日を経て、ついにUtahの五年目に突入しました。早いものです。こんなに長くなるとは当初思ってもみなかったです。おかげさまで元気で幸せに暮らすことができています。実験や論文書きで毎日非常に忙しいです。将来のことも考えなければなりません。慌ただしい毎日を過ごしています。そんな中でいくつかこの頃考えていることを書いてみたいと思います。

Missionaryへ出かけた友人
 この2月にKatieが再びMissionaryへ向かうためUtahを去って行きました。現在彼女はチベットに近いインドにいます。彼女の送ってくれるメールマガジンを読みながら、彼女が苦労しながらもmissionaryの仕事をがんばっている姿を想像しています。とても信心深く、会うといつもGodのお話が出てきます。心の優しい女性で、彼女の歌声にはいつもうっとりさせられます。そんな彼女ですが、僕はつい最近までどうしてもmissionaryというアイデアに馴染めませんでした。イラクとの戦争があり、アメリカに住む日本人の友人達や日本にいる仲間達といろいろと議論しましたが、そこで必ず出てくるのが、アメリカの文化的侵略と言う概念です。アメリカ民主主義をイラクに建設すると言うことと、イスラムの教えがどれくらい受け入れあえるのか、僕にはわかりません。いつかここにも書いたかも知れませんが、トルコでは西側のやり方を支持する女性の大学教員が、女子学生がベールをかぶってクラスに参加することを禁止した、という話がPBSのFrontlineという番組で放送されていました。学生さんは、ベールをかぶることは自分の信仰上とても大切なことでこの措置には納得できないといいます。何も悪いことをしていないし自分達は危険人物ではないのになぜこんな目にあわなければならないんだ、という主張。それに対し、教員側は、もしもイスラムの考えが大学に入ってくることになると、(女性である)自分達は大学で教えることができなくなるのではないかというわけです。このようなすぐには答えを出せないような様々な問題が、西側に近いトルコですらおこっている。それをイラクにもちこむとなると、大丈夫なのだろうか、と心配に思っていました。そして、戦争中に友人達から寄せられる意見は、アメリカがなぜイラクを攻撃しなければならないか理由が分からない、アメリカ民主主義の押し付けではないのか?というわけです。こう言われるとアメリカに長くいてその良さをいくつか分かっている自分としては、複雑な気分になります。信心深いアメリカ人の友人達も、この戦争をどう自分の中で消化したらいいのか、真剣に悩んでいました。多くは、前に書いた通り、戦争が始まってしまった今は、アメリカ人として国のために戦っている兵士をサポートし、できる限り少ない被害で終わってほしいと祈るだけだ、ということでした。話が少しそれましたが、戦争と言う極限の中で、アメリカがイラクで行っていることをサポートできるのか、ということを僕なりに真剣に考えました。その中で、missionaryのことがどうしてもひっかかるのです。キリスト教を世界に広げて行くことは、文化的侵略なのか? 仏教やヒンズー教、イスラム教で平和に過ごしている人たちの中に、なぜキリスト教を伝えるため入っていかなければならないのだろうか??? 彼等はalmighty Godを説いているということがどうしても気になるのです。他の預言者たちをrespectするといいながら、イエスこそが唯一の神なのだと説く彼等のことを、どうして受け入れることができるのかと。僕がひっかかるのはいつもそこなのでした。
 こうして戦争中あれこれ考えていたとき、ふと昔友人との議論で出てきたひとことが、浮かんできました。「People have to have a choice」というものです。それが、もやもやしていた僕の気持ちをある程度晴らしてくれたように思います。アメリカでは、選択の自由が保証されていて、その人の意志で何をするにもきめることができます。どんな宗教を信じるのも自由。そう、missionaryの人たちの役割は、布教活動をしている地域の人たちに選択肢を与えることなのだと思えば、ずいぶんスッキリしました。Katieはこの話題になるといつも必ず「私達は彼等の信じているものを壊しにいくのではない。その人たちの信じているものを尊重する」と言っていました。イスラムしかない地域に、キリスト教が入っていけば、選択肢が増えて多様性も認められて行くのかも知れません。

戦争と女性
 日本でも大きく伝えられたと思いますが、戦争中イラク側に捕まり捕虜にされた女性兵士が病院から救出されました。勇敢に戦い、ドラマティックに救い出された彼女のことを、アメリカでは大きく報道しました。まだ19歳、写真を見る限りでは幼さを隠せない若い女性でした。この話が大いに新聞やテレビをにぎわせたころ、もう一つの事件が一方で静かにクローズアップされていました。それは、最近アメリカ国内、エアフォース・アカデミーで起きた出来事でした。エアフォース・アカデミーは空軍大学とでもいうべきでしょうか。空軍のパイロットになるべく訓練を行うところのようです。NCAAでは僕の通っているUniversity of Utahと同じ、Mountain West Conferenceに所属し、女子バレーのチームは去年Utahに来ていました。このカレッジはコロラドにあります。そこで非常に優秀な成績をおさめて後少しで卒業と言うところだった女性が、クラスメートにレイプされたことを告発、その後細かいことが分からないのですが、彼女は機密を漏らしたと言うことでカレッジにいられなくなってしまいました。イラクでの救出作戦成功のあとに寄せられた新聞のopinion欄の記事には、アメリカのために戦う女性にとっての敵は、実は味方の中にいる(男性をさしている)、というものがありました。これを読み、僕は非常に考えさせられてしまいました。どんな場所であろうとレイプは許されることではありません。だから、細かいことは分からないけれど結果的にエアフォースにいられなくなり、小さいころからの夢に後一歩に迫りながら果たせなくなってしまった彼女への軍の処置はフェアーではないと思います。しかし、戦場で戦う女性兵士のことを持ち上げるのはどうも心情的に僕には合わないのです。殺しあいを前提とした精神の極限状況の中で行われる戦いに、女性が男性の中に混じっていくことが本当にいいことなのでしょうか。前出の意見記事(女性のライターによる)には、「今やアメリカ軍における女性の役割は非常に大きくなってきている。女性の力無しにはアメリカの兵力を維持することはできない。だからこそ、軍隊の中での規律はもっと厳しく、女性への配慮もしっかりしなくてはならないのだ」とあります。男女平等であるべきだから、女性にも軍の門をもっと開くべきだと言うことには、頭では納得できるのですが、心では受け入れられないのですね。このような気持ちを女性の友人に話すと、「結局それは個人の選択の自由なのだから、考えても仕方のないことなんじゃない?」とのこと。何がおこるか分からないことを覚悟の上で自ら希望して入って行くのだから、たとえそれが悲劇になってしまっても仕方のないことなのだと。同じことは男性にも言えて、今回の戦争で何人ものアメリカ兵が亡くなりましたが、覚悟の上で戦場へ送りだしているのだと言うことも、覚えておかなければならないのだという意見も別の友人から聞きました。前にコロンビア出身の学生さん(女性)が、クリスマスの時のゲームで、「もしも学生になってなかったとしたら、何になりたい?」という質問の答えに、「兵士になって戦いたい」というのがあって、えらく驚いたことがあります。考え方、感じ方、捕らえ方、それぞれみんな違うものなのだと、改めて世界の広さを感じました。

immigration
 この春は戦争もあり、immigrationのことで苦労した方も多かったようです。幸い僕の周りではみなさん無事に問題をクリアされて、僕もほっとしています。しかし、その一方で、中国や中東からの学生さんは苦労していると言う話を聞くこともあります。自由の国のアメリカが、移民に対する取締を厳しくし始めると言うのはなんとも皮肉なものです。思ったよりもいろいろなことで苦労して、アメリカは住みにくくなったとおっしゃった方もいます。9-11のあと、アメリカはnever be the sameとさんざん言われてきました。僕にはあまり実感は湧きませんでしたが、こうしたimmigrationに対する取り組みの変化を聞いていると、アメリカは確かに変わってきたと言えます。アカデミー賞受賞で脚光を浴びたエイドリアン・ブロディーの出演作として、Bread and Rosesというなかなか良い批評を得た映画があります。ヒスパニック系移民の子がブロディーの演じるアメリカ人のサポートを得て、劣悪な労働条件を変えて行くと言う話です。なかなか映画的にはよくできていると思いましたが、どうしてか、いつものように映画に感情移入できないのです。LAでのヒスパニック系の人たちがひどい条件で働いているアンフェアーさには怒りを感じるのですが、なぜか主人公の女の子にはいれ込めない。主人公は若いメキシコからの不法移民です。苦労してアメリカ国民になったお姉さんの家族を頼って自由の国アメリカ危ない目に会いながらやってきました。お姉さんの苦労を知らずに、奔放に生きる彼女は、劣悪な労働条件をかえるべく立ち上がります。至極当然の権利の主張なのですが、なぜか(法を破っている)彼女が権利を主張するのを見てしらけてしまうのです。そんな気持ちになる自分はおかしいのではないかと考え込んでしまいました。そう思うのは、いつも自分が法的に正しいところにいて強いところにいるから、守られているから、そう思えるのではないのか? もしも自分が本当に貧しくていい暮らしをしたいと思い危険を犯してその暮らしを勝ち取ろうとしたらそれは責められることなのか? 貧しく暗い暮らしを捨て、いい暮らしをしたいと望むことは悪いことなのか? そうして入って来た不法移民の人たちのことはどう自分の中で考えればいいのか??? 僕にはまだ答えがわかりません。

リアリティーショーと家族
 このごろ、周りの友人達の奥様が続けて妊娠し、ベイビーラッシュになりそうです。思えば、僕と同期の日本の仲間もどんどん結婚して行きました。さすがにこういう状況になれば、自分も影響を受けますね。家に帰れば真っ暗なアパートに電気をつけ、何となく寂しいのでテレビをオンにします。このところアメリカではリアリティーショーというのがはやっていて、どのネットワークも同じような番組をやっています。ABCのBachelorという番組では、テレビ局側が見つけてきた見栄えの良い男性(white)を、25人の女性(これもまたgood looking)が結婚するために競い合うというものです。毎週何人かづつ女性がドロップして行き、最後に残った女性に男性がカメラの前でプロポーズするのです。今までに女性バージョンを含めると5シリーズ放送され、3組が放送終了後に別れています。FOXでは、Joe Millionaireなる番組が2月ごろに放送されていました。これは、億万長者の青年をゲットするために、女性25人(だったかな)が競争するというもの。でも、実は青年は億万長者などではなく、年収10.000ドルの工事現場労働者なのでした。すごい視聴率で、最終回はちょっとおとぎ話っぽい終わり方をしたので、かなり好評でしたが、実際はロマンスはなかったらしいです。その後に放送された「married by America」は、視聴者が番組が選んだ男性数人、女性数人の中からカップルをまず電話投票で選びます。カップルはそれまで全く面識がありません。でもカメラの前で婚約を発表した後、五組のカップルは、リゾートホテルに閉じ込められて、二人での生活を始めます。心理学者ら”専門家”が、毎週末にうまくいっていない1カップルずつ落として行きます(その時点で婚約解消)。最後に残ったカップルは、カメラの前で結婚式をあげます。ところが・・・むごいことに、最後まで残った2カップルは、最後の最後で結婚にNOとなってしまいました。最初のカップルは男性の求婚に対し女性がNOと言ったのでまだましでしたが、2組目は女性がYesなのに男性はNoだったので、女性が半狂乱になってしまい大変でした。こんなの放送していいのだろうかと思うくらいのひどい結末。それでも放送してしまうアメリカのテレビの恐さを感じました。最近ではNBCでFor love or moneyというのをやっています。これはお金もちの男性の心を射止めて最後まで残った女性は、男性をとるか、それともお金をとるか究極の選択をしなければならないと言うもの。予想通りお金を選ぶというのが結末でした。これらのショーや、毎晩やっているBlind Dateなる、テレビ局がカップルを選んでデートしてもらうショーをぼんやりと見ていて、世の中には本当にいろいろな人たちがいるものだと、思いました。そして、そんなに短時間では、結婚相手など見つかるとは思えないという当たり前の結論に達しました。一方で、家族愛を描いたすばらしい映画2本に最近出会いました。一つ目はSpellboundというドキュメンタリーです。今年のオスカーにもノミネートされていました。「ボウリング・フォー・コロンバイン」のマイケル・ムーア監督が余りにも目立ってしまい、この映画は注目されませんでしたが、笑いあり、スリルあり、涙あり、そして家族の思いがとてもていねいに描かれた素敵な映画でした。これは、Spelling beesという、middle school ageまでの子供達が、英単語のスペルを当てて行くコンテストです。僕などが全く知らないような難しい単語のスペルを、音だけで当てて行くのです。1999年の参加者8名にスポットを当てたこのドキュメンタリーでは、子供達のバックグラウンドをていねいに描いています。メキシコ、インドからの移民、アフリカンアメリカンの母子家庭の子、ちょっと変わった性格の男の子達、とにかくすごく良く勉強して参加していることが分かります。親の愛情、理解なしには、こんなこと絶対にできない、それほど過酷なこの大会に向かう子供達とその家族を見ることで、アメリカの社会のふところの深さを感じさせました。日本で放映されたらぜひ見てほしい作品です。もう一つは、Togetherという中国映画。これは、中国の田舎で育ったバイオリンの才能を持つ少年が、お父さんと一緒に北京へ成功を求めてやってきます。息子のためにお父さんが一生懸命働き、また少年も父親の期待に答えるべく一生懸命彼なりに生きて行きます。彼を指導する先生(対照的な先生二人)との触れあいや、母親のいない彼にとって憧れの的になる若く美しい女性から大人の世界を学びながら、少年は父親と自分の間に隠されてきた秘密を知り、父親の愛情の深さを最後に知るようになる、と言うような話です。いやあ、これにはThe Pianistとはまた別の感動があり、映画館で泣けてしまいました。とにかくお父さんと息子役の俳優が本当にいい表情をするのです。そしてやはり音楽のもたらす力。どうもPianistといい、このTogetherといい、音楽と家族愛を描いたものには僕は弱いようです。imdb.comではえらくたたかれていましたが、僕にとってはとても心に残る映画でした。自分を見守ってきてくれた両親と弟に感謝すると共に、自分も将来、素敵な家族を築いて行きたいと思いました。

こんなことを最近考えていました。

留学生活報告のページへ戻る

メインページへ戻る