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中部支部からの便り
日本生物物理学会誌に、中部支部会について、垣谷先生が執筆された文章が掲載されました。ぜひご一読下さい。
中部支部からの便り
生物物理誌の編集委員から中部支部設立の経緯と現状などを書くように頼まれましたので、少し古いことですが、思い出しながら概観してみたいと思います。今私の手元に残っているわずかな資料を紐解いてみますと、中部支部設立総会が平成15年4月2日名古屋大学理学部C館4階会議室で行われています。このとき支部規約を定め、その第1条に「この団体は中部地区における日本生物物理学会員同士の交流を深め、研究教育の活性化を行うことを目的とする」としました。
なぜ中部支部を作ろうとしたかについて説明するためには、平成14年11月に名古屋大学で開催された日本生物物理学会第40回年会開催までのことを述べる必要があります。歴史的に名古屋大学は日本の生物物理学発祥の地の一つとして、多くの人材を輩出してきました。また、名古屋は地理的にほぼ日本の中心に位置し、交通の便が良いので数多く生物物理学会を開いてきました。そして中部地区の各大学・各部局に生物物理の研究室が多数創設されました。嘗ての生物物理学会はほとんど大学で開催されていました。ただ一つの例外として第37回年会に理化学研究所で開催されたことがあります。しかし生物物理学会の発表数と規模がだんだん大きくなり、大学で学会を開くのは大変な労力がかかることになってきていました。実際、第40回年会を名古屋大学で開いたあと、日本生物物理学会は国際会議場などの施設で学会屋さんの協力のもとでおこなうようになってきました(第41回朱鷺メッセ新潟コンベンションセンター、第42回国立京都国際会館、第43回札幌コンベンションセンター、第44回沖縄コンベンションセンター、第45回パシフィコ横浜)。法人化後の国立大学では研究者も学生もまあ大変に忙しい時代になってきましたから、学会のために使える日程と場所を大学で確保するのは非常に困難になっってきましたし、素人集団で学会の事業を遂行する非効率は避けざるを得ないと思われます。それを思えば、第40回年会を名古屋大学で開いたときには、まだこれほど忙しくなっていなかったのかとも思われます。このときの年会は主として名古屋大学情報文化学部(旧教養部)で行われましたが、会期日の朝早くに、分散した多くの教室の鍵を開けて回ったり、夜には手分けして各教室の机の整理整頓と戸締まりや、ゴミの回収・湯茶のサービスの後始末など国際会議場を使えばしなくて済むことをたくさんやりました。しかし、同じ大学、同じ地域にいても普段はほとんど接触のない多くの人たちが協力して、手仕事で年会をやり遂げたことはその後の財産になりました。
第40回年会終了後、多くの人たちが年会を準備・遂行した情熱を継続し、今後も研究教育に活かしたいという思いを抱きました。日常的に交流する機会をもっと多く持とうという機運のなかで、中部支部創設に至りました。幸いこの年会を実施する上でいくらかの純益が生まれ、半分を学会に寄付し、残りの半分を基金として中部支部を創設しました。
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現在中部支部の範囲について少し問題が起きています。中部支部設立当初、どの範囲の県を中部支部としてカバーするかについてかなり議論をおこないました。結局、地理学的な中部地区の呼び方を参考にして中部支部に含まれる県を定めました。中部支部規約第3条(構成員)には、「この団体の構成員は、中部地区に在住する日本生物物理学会員とする。ここで中部地区とは、愛知県、三重県、岐阜県、静岡県、長野県、福井県、石川県、富山県の8県とその周辺の地域を指す」とあります。ところが、生物物理誌2008年6月号に「支部だより:北陸地区からのたより」の記事が出ていました。内容は福井県、石川県にある研究室の紹介です。しかも北陸地区編集委員が集めた記事でした。生物物理誌には中部地区と北陸地区から編集委員が選ばれています。このときの中部地区は中部支部の範囲より小さい。たぶん生物物理誌の地区編集委員の分け方のほうが早くから行われていたので、中部支部の地区の分け方のときにそれを考慮すべきであったかもしれません。しかし最近の生物物理学会ホームページの「支部活動」の中では中部支部の範囲が中部支部規約第3条に対応する形になっています。現在特に具体的な支障があるというわけではないようですが、このような齟齬のあることを知っておく必要があると思われます。